ハクの見る空 22


 翌朝、議事室に集まったギルビスとラウルはハーウェルからの報告を聞いた。
「では、あれ以上の記述はないと…」
 ハーウェルは重々しく頷いた。
「主たる内容はエヌオット建国に至るまでの近隣勢力との情勢、初代国王が成しえた偉業について、そして当時の民の生活や天災による被害まで書かれていた。巫について書かれている箇所は最後のほうにあるだけで、目新しいものは見つからなかった」
「巫について書かれた文章の前後はどうなっていました?」
「将来エヌオットにとって転機が訪れる、というような始まりだった。聖誕の日に生まれる王子、つまりは俺だな。俺が巫を見つけ出し、王となってエヌオットを巫と共に統治していけば今まで以上の繁栄がもたらされるが、できなければエヌオットの終わりも近いと記されていた」
 ハーウェルの言葉に二人も神妙な表情をしている。
「昨日初めて実際に手にとって読んだが、なにぶん古い書物で紙の劣化も激しいし、文字や言い回しも堅苦しくて読み辛い。人払いをしてもらって父上の部屋に通うにも限度があるからな。見落とさないように調べたつもりだが、結局収穫はなかったわけだ」
 背もたれに深く身を沈めたハーウェルは静かに目を瞑った。
「お疲れのようですね」
「昨日は遅かったんだろう? そうなると思ってハクは早めに寝かしつけたんだ」
「ああ、聞いた。ギルビスが子ども扱いするって文句言ってたぞ」
 口を尖らせたハクの顔を思い出していると、思いのほか真剣な眼差しが注がれているのに気づいた。
「ハクのためか?」

 伝書を検めるように頼んできたのはラウルだったが、父上の部屋を訪れるまでに俺の気持ちは変化していた。次期王である俺自身が選んだ人間がハクなのだから、ハクが巫なのではないか、それを後押しするような記述が伝書の中にないだろうか、と。わずかな望みを胸に何時間もかけて調べたが、新しいことは何もわからなかった。
 巫など関係なく自分で連れてきたハク以外誰もいらないと思う気持ちと、自分が選んだハクこそが巫なのではないかという気持ちが胸の奥で渦巻く。

 巫を否定するか肯定するか。
 伝書を信じるか否か。
 己を信じるか否か。

「どうせ書くのなら、名前と住所まで書いておけばいいものを」
 ギルビスがにやりと口元を歪めた。
「だってそうだろ。伝書を書かれたお偉いさんは王の子孫が国の未来を左右する分岐点に立つって、何百年も昔から知ってたんだ。一方は巫と共に国を治め繁栄を築く、もう一方は巫が見つからず国は衰退の一途を辿る。そんなすげぇことがわかるんなら、巫の名前と住所ぐらい言い当てるのは朝飯前だろ。もうちっとサービスしてくれればいいもんを」
「六百年以上も昔の著者に難癖をつけてもはじまりませんよ」
 ギルビスもわかっていて言ったので、軽く肩をすくめてみせた。
 しかしギルビスの発言には、ほかの二人も同意見だった。巫を特定する情報がもっと詳細に書かれていれば、これほど時間がかかり苦労することもなかった。ただ、そんな不埒な考えをしても時間は待ってくれないので、思っていても口には出さなかったのだ。それをあえて言葉にし道化役を演じてくれたお蔭で、鬱屈した心情が少し軽くなった。

 会議を終えて、ギルビスが書類を整理していたハーウェルに声をかけた。
「今日は早めに戻れよ。夜にはいい話がお前を待ってるかもしれねぇぞ。…睡眠不足は解消されんだろうが、疲れなんて吹っ飛ばしてくれるかもしれんぜ」
 一瞬考え込んだが、思い当たらない。
「なんだ、それは。ハクから何を聞いたんだ」
 ハクのことで自分の知らない話があると知ると、途端にむっとした顔つきになった。
「だから、さっさと仕事終わらせて帰ってからのお楽しみだって」
 終始含み笑いを浮かべたギルビスの顔が余計に腹立たしい。さらに言い詰めようと一歩踏み出したとき、ハーウェルの眼差しを遮るかたちでラウルが間に入った。

「さあ、私たちは美女の顔を眺めに行くとしましょう」


 面接の場所となる広間でギルビスとラウルは、それぞれ巫候補(公には側室候補だが)の資料に視線を落としていた。
 立ち会うのは二人だけで、二人が使う机と椅子の前には等間隔に置かれた椅子が三脚並ぶだけだ。
「上手くいけば、明日にでもハーウェルに候補の者たちを引き合わせるつもりでしたが」
 言葉を切って俯いてしまった。
「どうした?」

「ハーウェルは諦めていない」

 ラウルの言いたいことは全てわかった。
 ハーウェルが寝る間も惜しんで巫の手がかりを探した。それは、頼んできたラウルのためでも、巫がいなければ国王になれない自分のためでもない。自分の愛するものが巫である可能性が少しでも広がれば、という考えがあったのだ。

 落とした肩に力強く手を置いた。
「お前がそんな顔する必要はねぇだろ。俺たちは自分の役割を全うする、そうだろ?」
「…ええ」
「信じよう」
 バシンと手のひらで背中を乱暴に叩いた。ラウルが痛いと抗議すると、鍛え方が足りないとからかった。
 建国祭や巫のことで忙しいので毎日は無理だが、剣の鍛練はもとよりデスクワークで筋力が落ちないように基礎体力にも気を使っている。それなのに鍛えが足りないと貶されて、この恨みをどうやって晴らしてやろうかと目まぐるしく脳内の細胞が信号を送り合う。

 にっこりと笑みを湛えたラウルはギルビスに爆弾を落とした。
「昔、ハーウェルからもらった肖像画はまだ持っているんですか?」
 不意に動きを止めたあと、その日に焼けた肌でもわかるほど、みるみる顔が赤くなった。普段は細い目をかっと見開いて友の名を叫ぶ。
「ラウル! 俺の心中掻き乱してどうする!」




 その人物について誰にも話してはいけないし、ハーウェルの部屋で暮らしていることを覚られてもいけない。即位前に部屋で誰かを住まわしているなどと噂を流すわけにはいかないから、と説明されたがジュゼルは釈然としなかった。何故なら「巫の話は絶対してはならない」と強く念を押されたからだ。
 神である巫の話をどうして話してはいけないのか。不可解ではあったが、時期が来れば必ずわけを話すから、とラウルに半ば気圧されて了承してしまった。
 皇太子の私室に囲われている人物の世話を任され、ジュゼルは激しい憤りを感じていた。しかし、次期執政官と噂されるラウルに信用のおける人物だと認められたのは嬉しかった。ハーウェルに対する私情はこの際目を瞑って、職務に徹しようと心を決め、ラウルに連れられてきたのだが…。

「コレいい! ホント助かるよ」
 テーブルに開いた子供向けの絵本の横に大きな紙を並べている。ハクは床に座って、その二つを交互に見比べていた。
 絵本は字を勉強しているハクの教材にとジュゼルが持ってきた。大きな紙にはこの世界で多くの国が公用語と制定している言語が表となって書かれていた。ハクにお願いされたジュゼルが、すぐに作って持ってきてくれた。
「喜んでもらえてよかった。作った甲斐があったよ」
「俺の住んでた世界じゃさ、読み書きを覚える子供のためにこういう教材が一般的にあったんだよ。小さい子供がいる家は、こんな表を壁に貼るんだ」
 あとは絵を描き込めば、とペンを持って唸っている。
「ハクがいた世界では家庭で字を教えていたの?」
「ん〜そうだな。親から教わる子が多いと思うよ。学校に通い始めればそこでも教えてくれるんだけど、早く読み書きできるようになりたいだろ」
「読み書きができる両親ばかりではないよね」
 エヌオット人として当然の疑問を投げかける。
 ハクは自分の世界にあった義務教育について、簡単に説明した。

「国が費用を負担するのか…」
「優秀な人材を育てれば、将来はその人たちが国を動かして行くかもしれないし、いろんな技術だって発展する。教養がないばっかりに低賃金の職しかつけなかった人が減れば、貧富の差の拡大を抑制できるし治安も向上するだろう? 莫大な費用が必要だけど、長い目で見れば国に返ってくるものは大きいと思うよ」
 この世界やエヌオットではどういう教育がされているのか聞くと、一般家庭の多くは独学で富裕層では家庭教師をつけるそうだ。一応学校というものはあるが、将来国に仕えるエリートたちを育てる仕官学校で、頭はもちろん家柄と所得にも一定基準がある狭き門のようだ。あとは私塾のような学舎があるが、それも大きな街だけで田舎の村には学舎さえない。

「エヌオットも、ハクのいた世界みたいにできればいいなあ」
 何気なく口をついた。
「できるよ」
 黒い瞳を輝かせてジュゼルを見上げてくる。
「ジュゼルは仕官学校出てるエリートなんだろ? 今は俺の世話係なんかやってるけど、もっと勉強して認められたらこの国の要職に就ける。そしたらいっぱい法律を立案して、自分の手でもっと良い国にすればいいんだ」
 ハクが言うと、あたかも容易く叶うのではないかと思った。別世界から来たハクには、その言葉の重みがわからないのかもしれない。でも、言葉もわからない土地で仕事をし、芸を認められて楽芸方にまでなったハクが言うのだから説得力はある。
 恵まれた身分と環境を厭い、自由に憧れながら何もしてこなかった。上ばかり見て自分の力で登っていく努力をしていなかった。

「ハーウェルと親戚なんだし、つてもバッチリ」
 いいことに気がついただろう、と自慢げに笑う。長い間胸の奥に詰まって取れなかった石がぽろりと落っこちたようだった。ふうと息を吐く。ハクに礼を言うと、目を丸くして首を捻っていた。


「休憩にしようか」
 ジュゼルはお茶の用意するために部屋を出ていった。
 作ってくれた表は縦横七つの桝目で、全部で四十九。その一つ一つに絵を描くつもりだ。絵の頭文字が枡目にある文字と同じだと、文字を見てわからなくても絵で思い出せる。よくある平仮名表と同じにしたいんだ。ここで何よりも重要なのが俺の画力。
 大丈夫かな? 中一のとき、夏休みの宿題で描いた絵が何とかって賞もらって飾られてたから……、だいじょうぶ!
 選ぶ名詞が鍵を握るから、あとでジュゼルに手伝ってもらって一緒に考えよう。

「ハク? 何をしているんだい?」
 ジュゼルが持つトレイから、お茶のいい香りが漂ってくる。テーブルにカップと果物かごを置くと、ジュゼルが近づいて来るのが視界の端にうつった。
「これは柔軟。ここに来てから全然運動してないからな。鈍らないように解してんの」
 床に座って伸ばした脚にくっつけていた上半身を起こした。
 この世界でも柔軟という概念はあるようだが、オルハイノのような踊りを生業にしている人たちくらいで一般人には浸透していない。ジュゼルも知らなかったのか、傍らで興味津々に観察しているようなので俄然やる気が出てきた。
 見てて、と声をかけて立ち上がった。両手のひらを上げてゆっくり上体を後ろに曲げる。手のひらが床についたら、ブリッジの完成。手足の間隔を狭めて腰をさらに曲げると、背骨がバキバキ鳴って気持ちいい。




 ノックもなく、いきなり扉が派手な音を立てて開けられた。しかし、部屋の中の光景を見た三人は、急いでいたことも忘れ入り口で突っ立っていた。

 ハーウェルの部屋は音楽に包まれていた。キタラという弦楽器をジュゼルが弾いている。中央ではその音楽に合わせてハクが踊っていた。
 片足を頭上まで振り上げる、と同時に跳躍して体を捻って反転させる。ゆっくりと側転して端に移動すると、バック転の連続。その途中で曲が終わってしまい、ハクは着地したまま絨毯にべたっと伏せた。
 時が止まっていたハーウェルがハクのもとへ駆け寄った。
「ハク、大丈夫か?」
 抱き起こされると、息を乱しながらも疲れただけだと笑った。
「素晴らしかったよ、ハク」
 キタラを置いたジュゼルが手を叩いている。まだ戸口から動いていなかったギルビスとラウルも後れて拍手を送った。
「軽いのは知ってたが、これほど身軽だとは思わなかった。あんな踊りもあるんだなぁ。サルみたいだったぞ」
 落ち着いてきたハクが、褒め言葉じゃないとむくれた。

「ハーウェルたち、どうしたんだ? 仕事は?」
 息が整うと、当初からの疑問を口にした。三人は顔を見合わせて、ラウルが真剣な面持ちで頷いた。
「今日、私とギルビスは仕事で人に会っていました。城で召抱える者を選考するためだったのですが、……その中の一人が捕らえられました」
「どうして?」
「様子がおかしかったので警備の者が問いただしたところ、怪しい粉末を所持していたのです」
 怪しい粉末、という単語がハクの頭に引っかかった。ラウルが言い含めるように語り掛ける。
「所持していた本人は、精力剤だと聞いたと言っていました」

 ―――精力剤?

「ある人物から、強壮剤だといってハーウェル殿下に飲ませるよう助言されていたようです」
 こくんと喉が鳴った。
「それって…」
「ハクが昨日の夜、俺に話してくれた夢にも出てきた」
「今調べていますが、強壮剤でも精力剤でもないことはまず間違いありません。おそらく毒物でしょう」
「ハク、いつどんな夢を見たのか、詳しく話してくれないか」
 ハーウェルが腕のなかの俺を見下ろした。
「あれは…楽芸館で閉じ込められて、ここに運ばれて目が覚めるまで見てた夢だった」
 普段の時間も場所も設定も曖昧な夢とは違って、あの夢では長椅子に張られた布の柄まで思い出せる。
 俺が見た不思議な夢の内容を話すと、みんな黙り込んでしまった。
 もしかして、あれは予知夢というやつだったのか? 今まで予知夢を見た経験はなかったけど、夢で聞いた話が現実に起ころうとしていたようだし―――
 考えに浸っていた俺の名をラウルが呼んだ。
「…何か、無くしたものはないですか?」
「無くしたもの?」
 脈絡のない質問で頭が混乱する。
「無くすって…それ以前に、自分の物なんかほとんど持ってないし…」

「目だ」
「め?」
 ハーウェルは窓の外を見据えたまま続けた。
「お前には、白黒しか見えないんだろう?」
 うん、と答えると、事情を知らないギルビスたちにハーウェルが俺の色覚異常について説明した。
「色を失った―――と解釈できるね」
 あとの二人に同意を促すが、反論は返ってこない。ハーウェルとギルビスとラウルの三人だけで話が進んでいくようだ。
「他に体の異常はない?」
「え、体? ああ…味がしなくなった、けど…?」
「味? 味覚……それが、欲」
「欲と色、二つ揃った。しかもハーウェルに迫る危険を予言した。もう疑いようもねえな」
 興奮を抑えるように、荒い息を吐いた。
「ハーウェル」
「…バンディも呼べ」
 それからバンディがやって来るまで、ソファーに腰を下ろしたハーウェルは静寂のなかにいた。



 状況を把握していないバンディが困惑顔で一同を見回したが、バンディを呼んできたジュゼルも、ハクも同じ心境でそれぞれに視線を送りあった。
「兄上を差し置いて王位継承順位が上なのは、俺の方が王に向いているとか優秀だとかいう理由からではない」
 重苦しい雰囲気のなか、ハーウェルが口を切って自嘲した。
「これは六百年以上前、エヌオット初代国王エルバルトゥス王の時代から定められていた。その当時に書かれた王家の伝書が存在するのだが、そこに―――エヌオットを創った神が生まれた聖誕の日に生まれた王子は、二十七度目の誕生の日までに神の化身である巫を見つけだし、契りによって絆をつくり聖誕の日に王となる。巫は王との深い結びつきによって、あらゆる災いから民を救い、導き、国を生まれ変わらせる―――と記されてある。聖誕の日に生まれた俺は、記されていた巫を探した。今日までずっとギルビスとラウルが手を尽くしてくれていた。表向きは側室探し、が本当は巫探しだったんだ」
 二人が慇懃に頷く。
「その者、エヌオットのものに非ず。見目麗しく、小さき器に豊かな御心を抱きて我らが地に降り立つべし。欲を失い、色を失い、伝えもせず、ただその御心に民を国を王を思う―――伝書に記された巫様の情報はたったこれだけでした。しかし……ハク、君にぴったり当てはまる」
 突然、俺の名前が出てきたが、話が見えない。
「違う世界からやってきた。見目麗しい。体は小さいけど心は広い。味覚と色を失った」
 ラウルが噛んで含めるように優しく説く。

 確かに、俺はエヌオットがあるこの世界とは別の世界からきた。見目は麗しくないけど、体が小さいのは否定できない。心が広いっていうのは、…自分で判断のしようがない。味覚と色を失ったって言うのも………。

「ハク、お前が巫だ」

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