ハクの見る空 23


「あいつら大人しく帰るかねぇ」
「城に居座るほど、自身と祖国の立場が危うくなることは目に見えています。帰らざるを得ないでしょう、本人の意思に関係なく」
 毒薬の一件は内密に処理されたが、それに乗じて側室候補の中に間諜が紛れ込んでいると噂を流した。集まった他国の姫君や貴族の娘たちを、穏便かつ迅速に追い返すためにラウルが広めたのだ。エヌオットの新国王になるハーウェルと太い繋がりは欲しいが、自国に嫌疑がかかっては元も子もない。本人の意思に関係なく、直ちに退城要請が下されるだろう。事実、選考から漏れたにもかかわらず帰る素振りを見せなかった者たちからも帰国の届けを受けていた。これで側室の件を有耶無耶にしても、国内外ともに体面を保てる。
「これで建国祭の準備に専念できるな。部下の人選もあるし、寝る暇あんのかね」
 最重要案件であった巫の捜索が終了したので、あとは建国祭に集中すればいい。ギルビスとラウルは肩の荷がおりてほっとしていたのだが……。無視できない人物が一人でこの部屋の雰囲気を重苦しいものに変えていた。
「で? ハーウェル殿下は如何されたのでしょうか?」
 言葉遣いは丁寧だが声の調子はふざけている。
 今朝いつも通り議事室にやってきて、わかっているもののあえてこれまで触れていなかったハーウェルに話しかけた。本人はまるで聞こえていない有り様で、朝からずっと政務に没頭している。
「まだ、ハクが落ち着いていないからね。仕方ないさ」
 何も返さない本人に代わりラウルが声をおとして答えた。
「ハクはどうしてるんだ?」
 ちらりとハーウェルを見やり、ギルビスの肩を抱いて背を向けた。
「バンディから報告があった。寝室から出てきたそうだよ。ジュゼルとバンディが相手をしている」
「あいつら、話し合ってないのか?」
「私がここへ来たときから……あれだよ」
 二人して振り返ると、黙々と書類を読むハーウェルの姿―――

 大きなため息をついて、ギルビスが歩み寄る。
「ハーウェル、お前は何をしてるんだ」
「…仕事に決まっているだろう。建国祭まで時間がないんだ。警備配置図はこれでいいだろう」
「はぐらかすな!」
 振り下ろした拳が机を叩いた。書類が数枚、音もなく木の葉のように落ちた。ラウルが書類を拾い集めながら
「ハーウェルも戸惑ってるんだ」
と、諫める。
「お前がそんなんでどうする! 探してた巫が、ハクだったんだぞ? 国民を欺かずにすんだ! 側室をおく必要もなくなった! 良かったじゃねえか。お前だって望んでたことだろう? ハクと今まで以上に絆を深めて、建国祭に臨めばいい。それを…」
 捲くし立てていた勢いが不意にぷつんと途切れた。両手をついていた机から距離を置く。
「どんなに悩んでるか俺にはわからんが、一つだけ言えることがある」

「いま不安を抱えて、戸惑って、誰よりも苦しんでるのはハクだってことだ」

 ギルビスが部屋を出て行った。ハーウェルは額に手を当て硬くまぶたを閉ざして、その音を聞いた。



 小さな影が横切った。翼を羽ばたかせ、すいすいと空のキャンバスに自由な放物線を描く。
 あの鳥に色をつけるとしたら何色だろう。きっと空は今日も快晴で真っ青だから、青に映えるような色がいい。カワセミみたいな翡翠色が綺麗だろうな。
「馬は?」
「え?」
 窓を向いていた視線を隣のジュゼルに戻した。俺の手元にある書きかけの用紙を指差す。その存在で、今自分が何をしていたのか思い出して、とりあえず、えへへと笑ってごまかした。
 急に「馬」とか言うから、思ってたこと口に出してたのかと焦った。

 今日はジュゼルに手伝ってもらって「エヌオット版あいうえお表」に描き入れる絵を考えていた。一語ずつ違う文字から始まる単語を考えるので手間が掛かる。絵で表現しやすい単語でないといけないから、ネイティブがいてくれると助かる。
「休もうか?」
「ううん。これが完成したら、教えてもらわなくても本が読めるようになるし、早く仕上げたいんだ」
 それは本当。でも、時間を持て余したくない、という気持ちの方が大きい。
「馬って、簡単に言うけど描けんの?」

 昨日ラウルから、巫がどういうものなのか教えてもらった。

 俺は十四歳の、ただの中学生だ。国を治める知識もないし、災害から人々を守る超能力もないし、危なくなったら駆けつけてくれるヒーローでも、救世主でも、神様でもない。
 状況がわかって、俺は全力でハーウェルの言葉を否定した。どこにでもいる凡人だと主張しても、ハーウェルもギルビスもラウルも見解を変えなかった。
 それから俺は、一人になりたいと言って寝室に籠もった。一度に聞かされた自分を巡るたくさんの言葉、沸き起こるさまざまな感情。明らかに容量オーバーで、一人でゆっくり考えたかった。
 いつ眠りに落ちたのかわからないくらいずっと考えていたが、今日も一日籠もっているわけにもいかず寝室を出た。ハーウェルはすでに仕事でいなかったが、ジュゼルもバンディも心配してくれていたようで、寝室から出てきた俺を見て大袈裟なくらい安堵していた。
 大昔の人が書き残したものを完全に信じているところから、俺には理解できないけど否定するつもりはない。仮に書かれている予言が本物だとしても、巫イコール俺にはならない。巫の特徴がはっきりと書かれていないんだ。エヌオット人じゃないとか、美人だとか、体が小さいとか、ハートがおっきいとか。あとの何か失ったっていうのは、そもそもの解釈を間違ってるのかもしれない。俺の味覚異常はたぶん栄養の偏りが原因だし、色覚異常は無自覚のうちに溜まっていたストレスが原因だろう。
 見つからなかっただけで、俺よりもこの条件にばっちり当てはまる人が必ずいると思う。
 でも、みんなが俺を巫だと確信する最大の理由は別のところにあった。ハーウェルに毒を飲ませる計画を夢で予知したことだ。ハーウェルを危険から守ったんだから巫に間違いない、というわけだ。そんなまぐれ当たりみたいな夢で、巫だって決め付けられても困る。今までに予知夢を見たことはなかったし、次も見るとは限らない。大体、あれが予知夢だと断言できない。昔見たドラマや映画や歴史の本に似た話があって、潜在意識のもとで登場人物を代えて脳が夢を見せたのかもしれない。
 それに、結局計画は失敗に終わった。実行犯役の毒を持った女の人が挙動不審だったらしい。つまり、俺が夢の話を持ち出さなくても計画は成功しなかった。
 予知夢かどうかはいったん棚上げにしても、女の人に疑問を抱いて声をかけた人の手柄であって、俺は全く何もしていない。
 愚にもつかない話をギルビスにしただけ…。



「だって、あんまり見たことないし! ジュゼルが上手すぎんだよぉ」
「ハクは以前、世話をしてたって言っていなかった?」
「え、あ、いや……そうなんだけども…」

 バンディと会話を交わして、言われるまでもなくギルビスは居室の扉を開けた。尋ねなくとも部屋の外にまで二人の会話が漏れていたのだ。何か言い争っているが、微笑ましいくらい平和な様子にギルビスは眦をさげた。
「なんだ? えらく賑やかだな」
「ギルビス!」
 ソファーに並んで座る二人の対面に腰を下ろした。
「で、何を言いあってたんだ」
 ローテーブルにあった一枚の紙を指差した。頼りないタッチで描かれた何かの生き物らしい絵。
「ギルビス様、これ何かわかりますか?」
「こりゃ……、どう見ても犬にしか見えないが、そんな聞き方するってことは犬じゃないんだろ?」
 たちまちハクの頬がふくれた。眩しそうに目を細めたジュゼルが、自分で描いた絵も見せながらわけを話した。
 ハクのふくれっ面と手にした絵を交互に見ながら、馬ねぇとにやにや笑う。
「ラウル様に頼まれた分は、大丈夫?」
「大丈夫って、どういう意味だよ!」
 恨みがましい目でじっとりと睨んでもジュゼルはくすくす笑うだけだ。
「何を頼まれたんだ?」
「絵だよ。夢の絵」
 要領を得ない投げ遣りなもの言いをジュゼルが補った。
 夢で見た内容を描きとめるようにと、ラウルからジュゼルが言付かったらしい。まだ文字で表せないので、人に伝える方法は絵しかない。
「言っとくけどな。今回は題材が悪かっただけで、本当は俺だってそこそこ上手いんだぞ」
「でもハクが描けるのかって言い出したんだよ?」
「うっ……ぎ、ギルビス仕事は?」
「そんなもん休憩だ。お前の顔も見たかったしな」
 しかめっ面が瞬時に引っ込んで、目も口も閉じられずにぽかんと見返した。ギルビスは鼻で笑って、加減せずに黒く小さな頭をぐりぐりと混ぜ返した。
「昼飯を一緒に食おうぜ。バンディには言ってきた」
 はにかんで、ありがとうと礼を言うと、再びギルビスの手が襲ってきた。

「ジュゼルって、意地悪だ」
 散々からかわれた腹いせに愚痴をこぼした。ジュゼルは昼食の用意をするバンディを手伝うため席をはずしている。
「知らなかったのか? あいつは小さい頃から陰険だ」
「そっか、ええと? ジュゼルのお兄さんがハーウェルのお兄さんと友達で、ギルビスたちも小さい頃から知ってるん…だったよな?」
「ああ、子供のときは可愛い可愛いって城の女どもが騒いでたよ。だからユアセノスも…ジュゼルの一番上の兄貴な、面倒くせえのにチビ連れて城に来てた」
「うわぁ、ジュゼルって絶対可愛かっただろうな」
 今は黙っていると冷たい感じのする美形だけど、小さくてぷにぷにしてて言葉遣いもたどたどしいジュゼルは天使みたいに可愛かったに違いない。
「見てくれは……まあ可愛くはあったがな。中身がまずかった」
 苦い薬を飲んだあとのような渋い表情をつくる。
「まずい?」
「子供のくせに老成してるっていうか…子供らしさのない、とにかくムカつくガキだったな」
 その頃を思い出しているのか、宙を睨んで苦々しくもらしたギルビスに、つい吹き出してしまった。
 ギルビスは一見渋めのお兄さんだけど、ハーウェルたちの中で一番子供っぽい。体格も雰囲気も、如何にも武人といった感じで初めて会ったときの印象は怖そう、だった。でも人柄を知ってしまえば、こういう悪ガキみたいな仕草がとても似合う。間違いなく悪ガキだったんだろうけど。

「ハクは強いな」
 頬に笑みを残したまま首を傾げた。
「昨日の今日だ。この国の神様だ、英雄だ、国王と国を治めろ…なんて、突飛過ぎただろう」
 柔らかな声音に、返す言葉が見つからなくて視線を彷徨わせた。
「悩ませちまったな」
 俯いた俺の頭に心地よい重みが加わる。ぽんぽんと触れてくる手から温かい気持ちが伝わってくるようで、俺はしばらくまぶたを伏せた。
「違うよ」
 小さな呟きだったのにギルビスにはしっかり聞こえたようで頭から手が離れた。
「俺、強いんじゃない。今でも、俺が巫なんて全然納得してないし、気持ちの整理もついてない」
 一晩考えてはっきりしたのは、俺は巫じゃないってことと、俺は何の役にもたってないってこと。改めて思うとちょっと凹む。
「でもさ、…俺が自分の殻に閉じ籠ってずうっと悩んでたら、みんな心配してくれるんだ」
 今朝の、寝室を出たときを思い出す。
 寝室から居室へと繋がる扉をなかの様子を窺おうと、薄く開けるとバンディとジュゼルにばっちり目が合った。きっと閉じ籠ったままの俺を心配して、扉が開くのを待っていてくれたんだ。
 そのとき、気恥ずかしくなるようなくすぐったさと、俺は何をやってるんだという自己嫌悪が同時に生まれた。嬉しいのか悔しいのかわからない熱い気持ちが胸に溢れて、不覚にも涙が出そうになった。

「俺さ、ほんと恵まれてるんだよね。いきなり全然知らない、言葉もわかんない土地で目が覚めて…。でもウルヌスたちが劇団に入れてくれた。城に来てからも、楽芸館ではオルハイノが仲良くしてくれたし、ジュゼルなんて最初は俺が嘘ついてたのに怒りもしないで今は面倒見てくれてる。バンディもあんたもラウルも俺のこと心配してくれるだろう? ハーウェルの問題でもあるからってわかってても、やっぱり嬉しいよ」
 俺はエヌオットで、こんなにたくさんの人から温もりをもらって生きている。
「そういうみんなの優しさを蔑ろにしてるって気づいたんだよね。まだまだ悩むだろうけど、周りを拒絶して一人悩むのはもう終わり。どうせ悩むならさぁ、顔見せて悩もうと思って。それが、俺に優しくしてくれて心配かけてる人たちへの礼儀というか、誠意というか…ね」
 最後には照れ臭さが勝って、がしがしと頭を掻いた。
「問題はあいつか……」
 ギルビスが低い声で俺の名前を呼んだ。眉間には深いしわが刻まれている。
「ハーウェルとは、あれから会ってないんだって?」
 俺は少しだけ顎を引いた。
「あいつは、巫を信じてないんだ。………でも、それもわかってやって欲しい。巫がいなけりゃ一人前の王様になれないって言われてきたんだ。王として…というより、一人前の男としての矜持を踏みにじられたも同然だ。巫がいなければいいって考えを持ったとしても、俺たちは否定できない」
 吸い込んだギルビスの言葉は、体内で溶かされ身体の細部にまで行き渡る。それは細胞の一つ一つが意思を持ち、感覚が鋭くなったような錯覚をもたらした。
 今まで自分に降りかかった火の粉を払うことしか頭になかった。
 ハーウェルは? ハーウェルはどう思ってるんだろう。
 あれから一度も顔をあわせてないけど、俺が寝室に籠もってる間何を考えたんだろう。一晩どんな思いで過ごしたんだろう。
「一昨日の夜、あいつ帰ってくるの遅かっただろ?」
 少し考えて頷く。
 一昨日といえばギルビスに夢の話をした、あの日だ。何時に帰ってきたのか、知らないうちに隣でハーウェルが寝ていた。朝はいつもの時間に起きてきたけど、普段より眠そうだった。
「ハク、お前に巫の可能性はないかと伝書を調べてたんだ。俺とラウルが巫を見つけるために、巫に合った条件つけて公には側室と称して探していた。それでもハーウェルは、恋人であるハクが巫じゃないかって模索していた」
 ハーウェルは、俺に巫であって欲しかった? でも……。
「…俺が巫だって言ったとき全然嬉しそうじゃなかったよ?」
 あのときのハーウェルは辛そうな強張った表情をしていた。
「あいつも、頭んなかぐちゃぐちゃなんだ。…もう少しだけ、待ってやって欲しい」
 ハーウェルも悩んでるんだ。自分のことばっかりで、ハーウェルの複雑な心境に気遣う余裕も持てなかった。
「お前が巫だっていうなら、素直に喜べばいいものをなあ」
 軽い調子で呆れたように肩をすくめた。
 下唇を強く噛んで目を閉じた。
「おれ…、ハーウェルと話したい。話さなきゃいけない、と思う」
 ギルビスは穏やかな笑みを返した。

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