ハクの見る空 21


「閉じ込められたときは、困ったなあってくらいで深刻には思わなかった」
 ハーウェルの膝からおりてカップを取ろうとした手を先回りして、大きな手がカップを俺の口に運ぶ。飲み物くらいは自分で、と思ったけど諦めて飲ませてもらった。
「…ハーウェルがついてた嘘やここで住む話は、ショックっていうより嬉しかったし。街を離れて城で暮らすときは、悩んだのは最初だけでハーウェルのお蔭ですっかり気負いもなくなってた。…あとは、この世界に来たとき? でも、そんなの四ヶ月以上前だ。確かにショックは何よりも大きかったけど、時間差がありすぎるだろ」
「やはり原因はわからないか」
 二人で昼食を食べながら色覚異常になった原因について考えていた。ハーウェルは仕事の途中だけど、わざわざ一緒にご飯を食べるために戻ってきてくれた。午前中に医者が往診に来たので、心配して様子を見に来てくれたみたいだ。

「第一さ、精神的ショックで白黒の世界になるのか? 飯が食えなくなったり、逆に食べ過ぎて太ったり、あと胃潰瘍になったとかならわかるけど、なんで目にいくかなぁ」
「ハク、可哀想に。不便はないか?」
「今日で三日たったし慣れてきたよ。白と黒の二色しかないから色合いが寂しいけどな。今のところ、一番の問題点はこれかな」
 目の前のテーブルに置かれた食事を指差した。
 視覚からの情報で食欲が刺激されていたのがよくわかった。白黒画面だと見た目がぱっとしないし、何の食材かわからないので美味しそうに見えない。ただでさえ味がわからなくて食欲が湧かないのに。
「お前…初めて会った頃に比べて痩せてないか?」
 しげしげと顔を見られるので、頬に手をやった。触ってもこれといって変化は感じられない。腰に回っていたハーウェルの手が、俺の腰を両手で掴んできた。しきりに俺の腹回りを触っている。びっくりしたが、ハーウェルが気にするようにウエストは細くなったかもしれない。ズボンの紐を腰に巻きつけるとき、以前より多く紐が余っているような…。
「ん〜、言われてみればそうかも…」

「これからは朝夕は無論、昼食も毎日一緒に食べよう。俺が見ていてやる」
「そんなこと言って仕事は平気なのかよ。建国祭とか即位式とか、俺にはよくわかんないけど準備で大変なんだろ?」
 フォークに刺したニョッキのようなものが運ばれてきたので、あーんと口を開けた。もぐもぐと口を動かすのをハーウェルが嬉しそうに笑って見ている。つられて俺も笑顔になってしまう。
 昨日の昼はハーウェルが仕事で出ていたのでバンディが一緒に食べてくれた。バンディと会話しながら食べるのは楽しいけど、ハーウェルと一緒に食べるときほど量は食べられない。
 ハーウェルと食事するとき、俺は右腿の上に座らされる。もう五、六回は二人で食べたけど俺の指定席になりつつあるみたいだ。毎回ハーウェルの席に二人分の食事が用意される。膝に座ったあとは落ちないように気をつけるだけで何もしなくていい。食べ物は全部ハーウェルがあーんで食べさせてくれる。最初は俺からもハーウェルに食べさせていたが、食べることに専念したほうがいいと言われハーウェルは自分で食べている。満腹になってギブアップするまで口に放り込まれるので、自分で食べるよりたくさん食べられるんだ。

「俺のいない間、一人で過ごすのは寂しいだろう」
「ん? バンディがいるから大丈夫だよ」
「バンディは俺の侍従であり秘書官でもあるからな。ハクには話し相手になる教育係をつけよう。世話もそいつに頼む」
「世話? いいって。俺不自由してないし、なんでもできるよ」
「遠慮するな。昼に連れてくると言っていたんだが…」

 扉をノックする音が聞こえて、入ってきたのはラウルだった。
「失礼いたします。ハーウェル様、連れてまいりました」
 俺は慌ててハーウェルの膝から下りた。
「入りなさい」
 開いた扉に向かって声をかけると、ラウルと同じくらいの背格好をした男がゆっくりと入ってきた。
「この者はハーウェル様の姉上、サリーン様が嫁がれた本家の末弟です。代々数多くの官吏を輩出してきた由緒正しい貴族の家柄です。若いですが彼も優秀ですし、真面目な性格ですからハク様を吹聴する心配はないでしょう」
 ご存知だとは思いますけど、と付け足したのはハーウェルに向けてだ。
「お前か…、そうか。歳も近いし、ちょうどいいな」
 二人とも以前から知る人物のようだ。
 俯いている男の顔はよく見えないが、髪はラウルより短い。下を向いたまつ毛が長く頬に影をつくっている。
 ―――あれ?
「…ジュゼル?」
 俺の呟きに気づいたようで、そろそろと顔を上げた。俺を見返すのは間違いなくジュゼルだ。目を大きく開いて信じられないといった表情で「ハク?」と口を動かした。
「……どうして…?」



「ラウルが選び出したのがジュゼルだった、なんてすっごい偶然。ハーウェルにはいらないって言ったけど、本当はこの部屋で過ごすのにも飽きてたんだ。いつもバンディが相手してくれるけど、バンディにも仕事があるし気ぃつかうだろ。ジュゼルが来てくれて本当に嬉しいよ」
「僕も引き受けて良かったよ。本音をいうと、ここに来るまでは乗り気じゃなかったんだ。ラウル様に半ば押し切られて連れてこられたようなものだから、殿下に直接断ろうかと思ってたんだけど…ハクに会えるなんて想像もしなかったよ」
 ラウルは仕事があるから、と何か言いたそうなハーウェルの腕を引いて、すぐ部屋を出てしまった。

 俺はラウルが連れてきた人物がジュゼルとわかると、一目散に駆けだして飛びついた。ジュゼルとは、夜ハーウェルと会うために断りを入れに行って、勉強をみてもらってから会っていない。一晩過ごしてハーウェルのところから宿舎に帰って、ジュゼルの部屋に行こうとしたら掃除を任されたんだ。何も言わずにいなくなったから、心配してくれたに違いない。
 二人してぎゅっと抱き合って再会の喜びをわかち合っていたのに、すごい力で離された。後ろを見ると眉間に皺を寄せたハーウェルで、ジュゼルを連れてきたラウルも訳がわからないといった顔をしている。俺は二人にジュゼルと出会ってからの話を、ジュゼルには俺が物置部屋に閉じ込められてからの話をした。そしてジュゼルからは、部屋に来ない俺を心配して翌日楽芸館に様子を見に来てくれたこと、物置部屋で倒れていた俺を発見したのはオルハイノだったことを教えてもらった。

 ジュゼルのお兄さんはハーウェルのお兄さんと友達で、小さい頃にハーウェルたち三人と遊んでもらったこともある知り合いらしい。しかも、そのお兄さんはハーウェルのお姉さんと結婚してて…。
 つまり、この世界でも世間は狭いってことだな。

「それで…、ハクはどうしてハーウェル様の部屋にいるの?」
「え、聞いてないのか?」
「ラウル様からは、ハーウェル様の大切な人のお世話をして欲しいと頼まれただけだよ。ハーウェルが即位するまで誰にも知られてはいけない、というところだけは何度も念を押されたけど」
「大切…」
 なんて中途半端な言い方。ハーウェルが俺を后にしようと思ってること、ラウルが説明してないんならジュゼルにも話しちゃいけないのかな。俺の存在はハーウェルが正式に王様になる即位式まで秘密だって言ってた。バンディにだって詳しいことは話していないようだし、ハーウェルが俺を后にしようとしているなんて絶対話しちゃいけないよな。
「うーんと…あのね。…実は、俺とハーウェルは……恋人なんだ。王子様だし即位前で忙しくて頻繁に会えないから一緒に暮らそうって言われて」
 ハーウェルの話を始めると、急に居心地が悪くなる。じっと座っていられなくて、落ち着きなくソファーの上で何度も座り直した。前にも給仕の人に恋人について話したことがあったが、あのときも恥ずかしくて堪らなかった。
 顔赤くなってるだろうなぁ。
 隠そうと俯いていたのに、覗き込まれた。
「嘘だよね?」
 迫ってきたグレーの瞳は、色彩を失った今でもかわらない。
「いや、ほんとだよ。俺みたいなガキがハーウェルみたいな大人と釣り合うわけないけどさ」
「本当に? 無理やり付き合わされてるとかじゃない?」
「違う、違う。本当に恋人なんだって。その……ちゃんと、………」
 両手を突き出して小さく手を振って否定した。
 なんでこんなに恥ずかしいかな。他人に自分の好きな人の話をするのって、くすぐったいような気恥ずかしいような……、なんか居た堪れない気持ちになる。
 意味もなく伸びた前髪を引っ張っていると、長く息を吐く音が聞こえた。見るとジュゼルも俯き加減だ。小さい声で「そっか」と呟いて、あげた顔は笑顔だった。
「本気なんだね……。今のハク、とても幸せそうだ」
「あ、…うん」
 ジュゼルが気になって曖昧な返事をしかできなかった。
 どうしてそんな顔するんだ? 痛いのを我慢してるみたいに眉を歪めて…。なんでそんな顔で笑えるの?
 そういえば、初めて会ったとき「王子が嫌い」と悪口を言ってなかったっけ…。
 わけを聞こうと思ったのにその表情は一瞬で引っ込んで、爽やかな笑顔を浮かべてこれからの生活について話を始めた。



「いい加減に機嫌直せよ。お前みたいなデッカイ大人が拗ねても、暑苦しいうえに鬱陶しい」
「何度も言うけど、本当に私は知らなかったんだよ。城に来て間もないハクと王族であるジュゼルが知り合いだなんて。でも、昔からの友人のように仲がいいよね、二人は。歳も近いし、きっと気が合うんだろうね」
 今まで反応を示さなかったハーウェルが鋭い目でラウルを睨みつけた。ラウルはハーウェルの不機嫌など気づかないといったように、平然と仕事を続けている。
「おい、ラウルもハーウェルで遊ぶのはやめろ。今日は大仕事が待ってるんだろ?」
「そうだったね」
「なんだ? 大仕事とは」

「巫候補が城に全員集まったので、私とギルビスの目で確かめてきます」
 さらりといいのけたラウルに目を丸くして、再び鋭い目で睨みつけた。
「そんなに睨まないでください。ハーウェルに会っていただくのは数人にしぼった最終候補者だけですから」
 苦笑して答えたが、見せ掛けだけだと二人とも気づいている。
「一体何人集めたんだ?」
「百二十七人です」
「……全員お前たち二人だけで接見するのか?」
「いいえ、私たちも長い時間はあてられません。まずは今日、大広間に一同を集まらせ私たちは隣室から隠れて様子を見るつもりです。これで百人は落とせるでしょう」
「隠れるのか?」
「時間の節約ですよ。自分を売り込むための文句など聞くだけ無駄です。二、三十人にしぼれたら私たちで面接するつもりです。ハーウェルの好みかどうかを」
 ハーウェルは微かに顔をしかめただけで黙っていた。ラウルの巫を見つけ出そうとする強い意志を理解しているからだ。それが例え自分の意にそぐわなくても、根底にあるのはハーウェルやエヌオットへの忠誠だと。

「国王陛下には話を通していただけましたか?」
「ああ、早速今夜陛下の部屋に伺う予定だ。遅い時間でなければ陛下も体が空かないからな。……二人とも、その盗み見はいつ終わるんだ?」
「人聞きの悪いこというな。晩飯のときだから、二時間もあれば終わるんじゃないか?」
 ギルビスがラウルに同意を求めた。
「そうだね、そんなに遅くまでかからないと思うよ。…なに?」
 いや、と口ごもると二人の顔を見比べた。
「……ギルビス、お前に頼みがある」
 改まった口ぶりにギルビスはぎょっとして、自分の鼻を指さした。ハーウェルがゆっくり頷いて続ける。
「その仕事が終わってからでいい。俺が陛下の部屋に行っている間、ハクを頼めないか?」
「…ふう、そんなことか。そりゃいいけど?」
 重要なことでも任されるのかと思っていたギルビスはほっと胸をなでおろした。引き受けてもらったハーウェルも安堵しているようだ。
「何もギルビスに頼まなくても、侍従につけたジュゼルがいるじゃないですか」
 ハーウェルの眉間に深い皺が刻まれた。低く怒りを孕んだ声でラウルの名を呼ぶ。
「ごめん、ごめん。冗談ですよ」


「俺、留守番くらいできるよ?」
 腰に絡まってきた手をかわした。王様に会いに行くといったハーウェルは、まだ戸口に立っている。
「ギルビスに相手をしてもらえ。くれぐれもジュゼルと二人きりでは」
「わかったから!」
 何回繰り返せば気がすむんだ、こいつ。

 仕事から戻ったハーウェルは手に負えなかった。
 その時ジュゼルから字を習っていたのに早々と部屋から追い出して、ジュゼルとの関係について質問攻めにあった。昼にもした説明をもう一度詳しくやり直したが、それでも納得しないハーウェルは最終手段に出た。それは、俺の体に……ううっ。
 時間がなかったし最後まではしなかったけど、散々体をいたぶられて何故だか俺は「ごめんなさい」と何度も許しを請った。俺は何も悪いことしてないのに、あんな意地悪なことをするハーウェルのほうが謝るべきだ。しばらく怒ったふりをしていたけど、俺を心配する気持ちはわかっていた。だから晩御飯を食べるときには、いつも通りハーウェルの膝に座った。


「ふう…」
 仕事に行かなければならないのに、まだ渋っていたハーウェルに俺から触れるだけの軽いキスをして部屋から押し出してやった。
「ご苦労さん。ハクにかかるとハーウェルはまるでガキだな」
 離れたソファーから黙って様子を見ていたギルビスが声を掛けた。ローテーブルを挟んだ反対側のソファーに座る。
「いつもはちゃんと大人な対応なのにさ、なんかの拍子で急にスイッチ入って妄想が始まるんだよ、被害妄想。しかも害を被るのは俺。年頃の女の子を持つ父親みたいに俺のこと心配してくるんだぜ? そんな目で見てんのはあいつしかいないって言うのに聞かないしさ。あんなので一国の主なんて務まるのかぁ?」
 ため息ながらに不満を言うと、ギルビスは一瞬きょとんとして大声で笑いだした。
「ぐっ……ふ…だ、大丈夫だ。変態の顔を見せるのはハク、お前にだけだ。俺たちの前じゃ、ちゃーんと真面目な王子様の仮面被ってっから」
 ギルビスは目尻に溜まった涙を拭いながら、乱れた息を整えている。
「でもな、それだけハクに本気だってことだ。お前と付き合いだしてから、長年友人やってきた俺たちでさえ見たことねぇハーウェルを拝ませてもらってる。焼きもちの一つや二つ、好きに焼かせてやれ」
「焼きもち? あれ、焼きもちなのか?」
 焼きもちって……ジュゼルに対して? 友だちだって何回も言ったのに、ハーウェルのやつ信じてなかったのか。そのうえ、自分が勝手に妄想したジュゼルとの仲が気掛かりで部屋をなかなか離れなかったのか。
 怒るよりも呆れてしまって、俺はゆるく首を振った。

「おっまえ、ほんとにすげぇな。あいつが手を焼くわけだ」
「な、なんだよそれ。俺は別に」
「ハクがそんなんだから、ハーウェルが余計に気を揉むんだよ。…それで時間もないのに一発やったのか」
 呆れた顔が、話の後半には人の悪い薄笑いにかわった。
「いっ一発って……なにいって…」
「隠さなくてもわかるって。頬っぺたはピンクだし、気だるそうに動いてるし、一発ヤリましたって顔してるぞ」
 な! ば、ばれてる!!
 咄嗟に指摘された頬を両手で押さえた。ギルビスはにやにやしながら俺を見た。
「それにお前、さっきから胸んとこ気にしてるだろ。どうせハーウェルにしつこく乳首弄られて、熱もってんだろ」
「もういい! 無理、もう無理! ギルビス、それ以上なんもしゃべんなよ。聞かないからな、おれ」
 まさしくギルビスの言う通りだったが胸を押さえるわけにもいかず、両足を抱えてそっぽを向いた。
 大丈夫だとか言ってたくせに、しっかりバレてんじゃないか。やっぱ人に会う前は断固拒否しよう。
「でもそれじゃあ、虫除けよりも虫寄せ効果がありそうだぜ」
 独り言みたいなギルビスの声にそっと様子を伺うと、口元は笑っているけど目が違った。悲しいというか、寂しいというか、はっきりわからないが何かを悲観しているようなやるせない表情だった。


「なあ、本当にいいの?」
 俺はベッドの中からギルビスを見上げた。
「いいに決まってんだろ。あいつ待ってたらいつになるかわかんねぇぞ」
「そうだけど…」
 ハーウェルが出掛けて二時間ほどギルビスと過ごした。物心ついた頃からの友だちだという三人の思い出話や、国王陛下の宝物部屋から運び出した装飾品を売りさばいたという武勇伝まで出てきて、ずっと笑いっぱなしだった。二時間経っても戻ってこないハーウェルを放っておいて先に寝ろと言われてベッドに押し込まれた。
 でも俺ってやることないし、前にハーウェルが出迎えられるの嬉しいって言ってた。喜んでもらえるなら、ちょっと夜更かしして待つくらいどうってことないんだけどなぁ。
 そんなことを考えていると、上掛けを鼻のところまで引っ張りあげられた。
「早く寝て体力つけないと、ハーウェルに何されるかわかんねぇぞ」
 その顔にはまたにやにや笑いが浮かんでいるけど、目はとても穏やかだ。
 ああこの目、少し似てるな……父さんみたいだ。言ったら怒るかな。
「う……、もう、わかったよ。寝ればいいんだろ」

 目を閉じようとした俺は、ふと思い出して体を起こした。
「あ、そうだ。ギルビス…変なこと聞いていい?」
「ん? なんだ?」
 返事をした声はいつもよりずっと優しさが滲んでいて、不覚にもどきっとしてしまった。
「…あの、ハーウェルはさ……その、綺麗な女の人と二人きりで会ったりする機会あんの?」
 ふんと鼻で笑うと、ベッドの端に腰をおろした。
「お前も焼きもちか?」
 そう言って、頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜられた。あんまり子ども扱いするので、その手を払いのけてやった。
「違うって、そういうんじゃなくて」
「………まあ、そういうこともあるだろうな」
 俺がむくれて睨みつけると、曖昧だが答えてくれた。
「じゃさ、…ハーウェルは王子様だから、人からもらったものを簡単に口に入れたりしないよな?」
「ん〜それは相手によるかなぁ」
 顎に手をやって真剣に考えてくれている。俺は「そっか」と呟いた。白いシーツに落ちた自分の腕の影をみつめた。手のひらを閉じたり開いたりすると、黒い指も同じように動く。
「……ハク、どうしたんだ?」
「え、ああ別に。ちょっと気になっただけで……何でもないんだ」
 俺の頭の中にあったのは、ハーウェルの部屋で目覚める前に見た夢だった。
 あのときの俺は―――
「もしな………もしハーウェルが綺麗な女の人と二人きりになる機会があったら、強壮剤だって何か渡されても絶対に飲むなって忠告してやってくれないか?」
「…ハク? なんだ、それは。えらく具体的だな」
 訝しげに見つめられた。
「…夢を見たんだ。変だと思うんだけど……、その夢がさ…どうも気になって頭から離れないんだ。夢の内容を真剣にとるのも、考えすぎだと思うんだけど…。だから、ハーウェルに言うのもちょっと照れくさくて」
「直接言ってやれ。今夜か、明日の朝……朝はまずいか。今夜か明日の夜にでもハーウェルに話せよ。絶対に夜だぞ、夜。わかったな」
 ギルビスは武骨な手で、また俺の頭をぐしゃぐしゃにした。

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