ハクの見る空 20


 一日の政務を終え、ハクの待つ私室の扉を開くと中から微かな笑い声が聞こえた。廊下を進んで声がする扉を開く。

「すごい! とんでもない悪ガキだったんだぁ」
「それが三人も、だからな。揃って消えて数日間帰ってこなかったときは、国境の様子を視察に行ったと国王陛下に嘘までついたんだぞ」
 二人が肩を寄せ合って座るソファーに、息を殺して近づく。
「三人を探しに出たら街角の酒場で「誰が一番多く相手を落とせるか」競ってたんだぜ。散々迷惑かけておいてくだらないことやってるもんだから、腹が立って三人が狙ってた子を次々に口説き落としてやった」
「数を競ってたの? うへぇ、信じらんねぇ。最低だな……で、誰が勝ったの?」
「俺に決まってるだろ」
「ははははは、やっぱり? 三人とも格好いいけど、そのときはまだ若かったんだろうなあ。がっついてるガキより、落ち着いた大人がいいに決まってる」

「ハク」
 肩がぴくっと小さく揺れて、急いで振り返った。
「は、ハーウェル…、びっくりしたぁ。帰ったんなら声かけろよぉ」
「呼んでも気づかなかったんじゃないのか? 随分楽しそうに話していたじゃないか。仕事をして帰ってきたら、ハクが出迎えてくれると期待していたのになぁ」
 いじけて言うハーウェルは、心なしか肩が下がっている。駆け寄ってハーウェルの顔を覗き込んだ。
「あの、おかえり」
「…それだけか?」
 顔は上げずに、腕をのばして胸に抱きしめられた。見上げた俺と、うな垂れたハーウェルの鼻が触れそうなくらい近くにある。ハーウェルの何かを訴える視線に気づいたが、意識が後ろへと向いてしまう。
「だ、だって…バンディいるし」
 微かな物音がして、音の出所を探すと丁度扉が閉まったところだった。
「……そんなことは、どうでもいい」
 巻きついた腕に体を軽く揺すられて、顔を戻した。
「仕切り直してくれるか?」
「…お、かえり」
「で?」
「でって…う、ん〜」
 改まって言われると恥ずかしくて躊躇った。握りしめたハーウェルの服を手の中でいじっていたが、気になって顔を上げると目が合った。さっきと同じ表情をしているのに、なぜか悲しそうに見えて胸がきゅうっと締め付けられる。何か言おうと口を開いたが、今俺がすべき最善策を思いついた。

 逃げ出したいほどの羞恥心を、俯いて深呼吸で静める。
「ハーウェルぅ」
 お互いの胸の間に挟まっていた腕を首に絡めて、顎を引いてハーウェルを見上げた。少し背伸びをすると唇にすぐ届いた。軽く触れて瞳を見ると、心なしか柔らかくなっている。勇気付けられて、閉じられた唇を舌でなぞると抵抗なく入っていった。
 招き入れてくれたものの、向こうから行動を起こすつもりはないようだ。いつもしてもらっているキスを思い出しながら、ハーウェルの口内をまさぐる。上を向いた俺の唇の端からは、飲み込むのが間に合わない二人の唾液が流れていく。拭いもせず、必死でハーウェルの舌に吸い付く。反応を返してくれるまで止めてはいけない、と変な目標を立てていた。
「はぁ…うぇう……、おかえ…り。…まって、た……」
 首に回した腕に力を込めて、口付けをもっと深くした。爪先立ちになってかなり体勢がきつい。
「ハク……」
 温もりが離れて目を開けた。
「愛するものが自分の帰りを部屋で待っていてくれる。……今、初めて経験しているんだ。喜びをもっと味わわせてくれないか」
 返事をする間もなく、ハーウェルの唇がおりてきた。強く押し付けられて体が仰け反った拍子に、開いた口内へ舌が侵入する。倒れそうになる体は、頭と背中をがっちり支えられている。

「はぁっ……ん…、あ………」
 喘ぎさえもハーウェルに飲み込まれていく。溢れた滴を舌が辿って、顎から耳、首筋へと進む。背中に回っていた腕が背骨をなぞりながら下りていく。尻をやわやわと揉んでハーウェルの膝が足の間に入ってきたとき、不意にこんこんこんと音が響いた。

「お食事の用意が整いました」

 ぴったり密着した体を押し返そうと手を突き出すが、ハーウェルはびくともしない。腕の中でもがく俺を無視して、手は好き勝手にまさぐっている。
「なぁ…、バンディが…呼んで……んぅっ」
 鎖骨の上をきつく吸われて鼻から息が抜けた。
「あんなやつの名前を出すな」
 更に体を寄せてきて勢いあまって後ろにあるソファーの背に腰がぶつかった。
「ちょっと……ハーウェル…うわっ」
 ハーウェルが圧しかかってきてソファーに反対向きに倒れ込んだ。背もたれを跨いでハーウェルも迫ってくる。

 ―――バタン!!!
「ハーウェル! 飯が先だ!」
 乱暴に扉を開ける音と共に怒鳴り声が響いて、俺の思考を侵食していた甘い空気が綺麗に霧散した。



「今日は疲れただろう?」
 髪に残った水分をハーウェルの大きな手が丁寧にタオルで吸い取ってくれる。
「ううん、大丈夫。目が覚めたら、こーんな広くて豪華な部屋で隣にはハーウェルがいて、なんでか色が見えなくなってて、俺がこの国の王妃様になるとか…。もう衝撃的な出来事が多すぎて、逆に冷静なくらい」
 おどけて言うと、ハーウェルが顔を覗き込んできた。笑ってみせると、ほっとしたような笑顔が浮かんだ。
 心配してくれてるんだな。
「もういいよ、ありがと」
 気恥ずかしくなって、視線から逃れてうつむいた。
 やってくれるというハーウェルの言葉に甘えて、ソファーに座るハーウェルの股の間でされるがままになっていた。力加減が下手なのか頭がぐらぐら左右に揺れるけど、それがまた気持ちよくて、髪はほとんど乾いていたのに声を掛けなかったんだ。
 それにしても、ハーウェルが王様…次期国王か…。そんな偉い人に髪拭いてもらってるなんて、俺ってすごいことさせてるよぁ。本人がやりたいって言い出したんだから、……ま、いっか。

「んっ…?」
 薄い夜着の上から俺の乳首を探りあてたハーウェルは、有無を言わせぬ速さで夜着の裾を捲った。
「先ほどの続きをしよう」
 普段よりわずかに低く掠れた声が、腹の底に響く。
「ちょっと…、さっきまで俺のこと心配してくれてたんじゃ、なかったのか?」
「だから確認をとっただろう」
 首筋を舐められた痕が呼気にくすぐられ、ぶるりと震えた。手が膝から内腿へとのぼってくる感覚に腰が甘い痺れに包まれる。
「そう、いう、意味で…いったんじゃ……あぁ」
 閉じようとした脚を掬われ、ハーウェルの脚の上にかけられた。ハーウェルの脚の間にいた居た俺が、その脚に自分の脚を乗っけられてるわけで…。
「や、やだやだ。ハーウェル…この格好」
 反対側から見たら、俺の大事なとこ丸見えじゃないかああああ!

「この前、したばっかだろ!」
 一緒に風呂に入ろうといわれて、つい先日風呂場で散々された恥ずかしい行為を思い出し、しぶとく言い募るハーウェルをどうにか言い包めて別々に入ったのに、やっぱりこういうことになっちゃうのか!
「ハク、三日も前だ」

 ―――も、じゃなくて、し、か!

 叫びたいのに、口をつくのは弱々しい制止の声。くっそう、全然説得力ないぞ。
 しかも、縋りつくものが欲しかったのか、俺の腕は知らないうちに背後の首に巻きついていて…。そりゃ、ハーウェルもくすくす笑うはずだ。ムカつくけど何も言い返せない。情けないぞ! おれ!
 なんだかんだ言っても、俺だってハーウェルのこと好きだし、こうやって一心に求められて拒めるわけがないんだ。

 不本意ながらもノッてきた俺は、嬉々としたハーウェルに軽々と抱えられベッドに転がされた。覆い被さってくるハーウェルの顔が真剣で、怖いような嬉しいような判然としない気持ちが渦を巻く。

 口内の荒々しい舌の動きに翻弄されていると、不意にするっと体の奥を撫でられた。
「んん…」
 びくびくと反応を示す脚をあやすように撫でて、様子を見ながらゆっくりと中に入ってくる。

「今夜は初めて俺の部屋で過ごす日だぞ。それに、俺の王妃になるといってくれたんだ。こんな日にお前を抱かずにいられるか」
 太い指が何本入っているのか、蕩けきった頭は状況を把握できない。ぬるっとした液体の力を借りて、何の抵抗もなく出し入れされる。はしたない声を漏らさないように、握りこんだ人差し指の付け根を噛むのが精一杯で、ハーウェルの話は頭に入ってこない。

「また噛んでる」
 腕をとられて「お前は本当に可愛いな」と呟きながら、くっきり付いた噛み痕を舐められた。
「心配するな」
 指が絡まりしっかりと手を繋がれた。体の真ん中に熱いものが触れる。びくんと体が弾んだ。先の展開に期待しているのか怖がっているのか、自分でもわからない。
「無理はさせない。今日はじっくりお前を知りたいんだ」
 言葉通りに、ハーウェルはそろそろと俺の中に入ってきた。じれったいほど慎重な挿入のせいで、入り口が食むように締まってハーウェルの動きを何度も止めてしまう。全部が収まっても動き出さず上半身の愛撫を繰り返すばかりで、耐え切れなくなった俺は「動いてくれ」と強請ってしまった。
 やっと望んだものをくれると思っていたのに、後もう少しのところで止められたり、乳首を血が出ると思うくらい強く噛まれたりして、何度も寸止めを食らって上も下もぐしょぐしょだった。
 だから、ハーウェルが話しかけてくる内容は微塵も理解していなくて、ただ破裂寸前の根元を押さえた手を外してほしくて、うんうんと頷いていた。俺の返事に気を良くしたのか、意識を失うまで延々と嬌声を奏でさせられた。




 ハーウェルの議事室で、ハーウェルとギルビスとラウルの三人は仕事に追われていた。内容はもちろん、残り一ヶ月を切った建国祭と即位式、戴冠式についてだ。
 エヌオットの建国祭は前夜祭と当日、それに後夜祭の三日間に渡って行われる。新年の祝賀祭よりも国民の祭りという意識が高く、街には出店や芝居小屋が多数集まる。今年はその上、ハーウェル皇太子が戴冠式を行うとあって、例年以上の準備が必要だった。
 戴冠式は国内だけでなく国外からの賓客も多く、招待した国王や王族たちの警備から宿泊場所の手配まで全てをハーウェルたちが取り仕切らなければならない。自分の戴冠式が国王としての初仕事になるのだ。国王になるハーウェルだけでなく、執政官に就くギルビスとラウルの手腕も試される場である。

 仕事が一段落したラウルが顔を上げた。
「殿下、国王陛下にお願いして王家の伝書を読んでいただけませんか?」
 手にした資料から視線だけ向ける。
「ヨルハン陛下は巫についての記述はあの部分だけだとおっしゃられていましたが、他の個所にもないとは言い切れません。どんな些細な事柄でもいいんです、君の目で検めてくれませんか? 持ち得る限りの情報が欲しいのです」
「……まだ、探しているのか」
 ラウルを映した瞳からは何の感情も読み取れない。
「申し訳ありません」
「俺の言葉、忘れたわけではあるまいな?」
 綴じられた資料を捲りながらハーウェルが聞いた。
「何とおっしゃられても、止める気はありません。即位直前まで巫を探します」
 言い切ったラウルの声には、決意が込められている。それは他でもないハーウェルのためを思ってのこと。ハーウェルもそれを重々承知している。
「…任せる」
「ハーウェル様、伝書は」
「俺から直接、国王陛下に御伺いする」
「お願い致します」
 畏まって頭を下げたラウルを、ハーウェルが見ることはなかった。

「昨日はハクに巫の話を伝えたんだろ? どうだった?」
 ハーウェルはサインしていたペンを置き、椅子の背もたれに身を預けた。会話の内容が一変して、今までの厳しい表情はどこにも見当たらない。
「ああ、昨夜話した。やはりハクは巫など知らなかったようだ。国王になるためには巫が必要で、ハクに俺の巫になってほしいと言ったら、……」
 そこまで言うと、宙を見つめてにやにやしている。
「快諾してくれた」
「巫について、詳しく聞かれませんでしたか?」
「……聞かれなかったというか、聞けなかったというか。…聞く隙を与えなかった、が正しいか」
 顎に手を添えて、思い出し笑いが止まらない。
「どんな状況で話したんだか…」
「巫として、王妃として、俺と死ぬまで一緒にいると誓わなければイかせてやらんと迫ったんだ」

 昨日はバンディに邪魔されたあと、夕食をとってから寝室で続きをした。
 まだ行為に慣れないせいなのか、ハクはいつも恥ずかしそうにして「いやだ」とか「だめ」を繰り返す。次第に快感や羞恥心に耐え切れなくなると、黒い瞳から大粒の涙をぽろぽろと零して泣きじゃくる。それも、耐えているハクにハーウェルが気づいて「泣け」と促されるまで涙は流さない。
 昨夜は、ハーウェルが挿入後に「誓わなければイカせない」と無体な要求をしたので、ハクはまた泣かされた。ハクの泣き顔はハーウェルの嗜虐心を大いにくすぐり、ハクは意識が途切れるまで甘い泣き声を上げ続けた。

 ハクの艶かしい姿を思い出して和らいだ顔をするハーウェルは、普段の近寄りがたい雰囲気とは全く違っていて、ギルビスとラウルは苦笑するしかなかった。
「くくくっ…拒否権なしか。お前も悪いやつだなぁ」
「都合の悪いことを聞かれなくてすむから好都合ですけど…、閨で脅迫していると一緒に寝ないなんて言い出されても知りませんよ」
 友として忠告してくれたにも拘らず「言うわけがない」と胸を張って自信満々に否定する。

「ハクはどうしてるんだ? 部屋から出られないし、急に環境が変わって戸惑ってるんじゃないか?」
 はっとしてギルビスを見たハーウェルは「それが…」と言ったきり、押し黙ってしまった。
「どうかしましたか?」
「…バンディが、話し相手をしている。退屈そうには見えなかった」
 然も忌々しそうにバンディの名を口にする。まさか、とは思いながらもラウルはその感情の正体を口にする。
「もしかして…嫉妬、ですか?」

 昔から誰彼構わず手を出して必死になって相手を落とすが、自分のものにしてしまえば急に冷めてしまい次の相手を探すのがハーウェルの常だった。それも十代の頃の数年だけで最近は鳴りを潜めていたが、ハーウェルが一人の相手に入れあげているのを幼馴染の二人は一度も見たことがなかった。
 ハクに対しては夜を共にしてもなお執着をみせていたので、以前にはない真剣さが窺えた。ハクと会ったあとの満ち足りた表情や、嬉しそうにハクを褒める様子を見て、后として迎えるのを認めた二人だったが、如何せん一人の相手にとらわれたハーウェルを見慣れない。嫉妬するハーウェルを見る日がこようとは夢にも思わなかった。驚きと感慨と信じられない、複雑な心境でギルビスとラウルは長年の友を見ていた。

 ハーウェルとラウルは手を動かしだしたが、ギルビスは頭の後ろで手を組んでまだ休んでいた。
「でも良かったなぁ、仲良くしてくれて。バンディはハクが一緒に暮らすのを反対してたから、受け入れるのに時間がかかると思ってたけどな」
「ハクは……、年上が好みらしい」
「十二歳も年上じゃないですか」
「バンディは俺たちより六つ上だ」
「上ならいいってもんでもねぇだろ」
 相手にできないというように、首を振って仕事を再開した。

「ラウル、至急頼みたいことがある」

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