ハクの見る空 9
なんじゃこりゃあ。
宴の会場は芸人の審査選考会で通された広間とは全く違っていた。審査選考会の広間は余分な装飾品がなく、床石と同じ白で全体が統一されすっきりしていた。反対にこの広間はたくさんの色が使われ天井や壁にも装飾が施されていた。それでもごちゃごちゃした感じを受けないのは、金と赤系の色でまとめられているからだろう。
頭からすっぽり被ったヴェールで口元を隠し、唯一出ている目で辺りをきょろきょろ見回していた。「来賓をもてなす部屋だから華美にしてあるんだ」とバンディが耳元で教えてくれた。
このヴェールは「お前が他人の目に穢される」と血迷った発言を繰り返していたバンディに持たされた。ヴェールなので透けてはいるが、顔を隠せることで俺も少しほっとした。
隣に立つバンディは布で頭を覆い、顔にも影ができて一見してバンディだとはわからない。騎士らしい逞しい体格も長い袖と裾で隠されている。バンディの役どころは俺と同じ領事館関係者。俺たちは恋人同士、とかそういう設定らしい。
「ハク、俺はこれから他の者と落ち合うことになっている。しばらくの間俺はいないが、部屋を用意してあるからそこで待つんだ」
そうだった、バンディは仕事で来てるんだった。
もうすぐ重要な国の行事があるらしく、警備も普段以上に力を入れているらしい。バンディたちは来賓に紛れて怪しい行動を起こす輩がいないか見張るんだとか。
仕事中に俺なんか連れてて大丈夫なのかと思うのだが、女連れだと周りに馴染みやすいからいたほうが都合もいいんだって。
窓際にある長椅子にぼうっと腰掛けていた。宴が行われているのは王宮と別の建物で、この窓から王様が住んでいる宮殿の尖がりが見えた。暮れてきた薄紅色の空を背景に超然とそびえ立つ様は一枚の絵画のようで、現実感がない。この不思議な世界に自分がいて、行こうとすればあのお城にだって触れられるんだ。ウルヌスやヘスたちと一緒に仕事して生活して日々を送っていても、夢じゃないのかと思う自分がどこかにいてこの世界を信じきれなかった。
でも、今は信じてる。俺はここにいるって。この世界でちゃんと生きてる。そう思えたのはバンディを好きだと気づいたからだ。
一緒にいてどきどきしたり、恥ずかしいこと言われて顔を真っ赤にしたり。会いたいなあと思う切ない気持ちとか、肌に触れられた時のほっとする温もりとか、もっと触れたい触れられたいと望む気持ちとか。この世界もエヌオットもバンディも現実で、俺はその中で生きてると証明してくれる。俺の気持ちは夢なんかじゃない。これで起きたら夢だった、なんて終わり方だったら。
静まり返っていた部屋に外の音が流れ込んできた。扉を振り返ると部屋に入ってきた誰かが、扉を慎重に閉めているところだった。
奥へ向かおうとした足が、座っている俺を見つけて止まった。
「これは失礼しました。先客がいらっしゃるとは思いもよりませんでした」
「あっ……」
返事をしようとして慌てて口を押さえた。
まずい、俺はエヌオットの言葉がわからないんだった。うわー、どうしよう。
そこで俺は、さらに重要な失態を演じていると気づいた。
ヴェールがない!
顔を覆っていたヴェールはこの部屋でバンディと別れてすぐ外していた。誰もいないからと安心していたのだ。長椅子に掛けていたヴェールを手繰り寄せると、そっと手を制された。顔を上げると爽やかに笑う美しい青年が目の前に立っていた。
「それを着けるのですか? たまたま入った部屋で一緒になったのですから、もしよろしければお話でもしませんか? 会話する時はお互いの顔を見るのが礼儀ですよ」
にっこり微笑まれた。「隣に座ってもいいですか?」と聞きながら勝手に座っている。
顔はすでに見られているし、今から着けるのも確かに失礼かなと思い、ヴェールを膝の上で畳んだ。でも俺は言葉がわからない設定だから、小首を傾げて頼りない表情を青年に向かってしてみた。青年はじっと俺を見つめている。俺の髪と目の色が珍しいのだろう。さっきの会場に白い肌をした人は何人か見かけたが、黒髪と黒目はいなかった。青年は金色の髪に薄いグレーがかった瞳をしていた。きりっとしていて頭の良さそうな印象だ。見た目は二十歳くらいに見えるが、エヌオット人は年上に見えるのでまだ十代かもしれない。
それにしても。
『美人だぁ』
久しぶりに日本語をつかった。言葉のわからない外国人のふりをするなら、外国語をしゃべっていたほうが真実味はあるだろう。青年はきょとんとしている。そんな表情さえ絵になる。男に対してだから「格好いい」が正しいんだろうけれど、顔の造作が完璧といっていいほど整っていて「美しい」んだ。
「もしかして、何を言ってるかわかりませんか?」
「その通り!」と拍手したいところだが、俺は申し訳ないといった顔で見返した。意味を理解しているのにわからないふりをするのも難しい。話の内容に反応してはいけないんだから。
青年は呆然と俺の顔を見ている。手をかざして振ってみた。失礼だったと気づいたのか、仄かに顔を赤らめて俯いた。「そうか…言葉が通じないのか」と独り言をいっている。
「あなたも退屈だったのでしょう、今日の宴。だからここに避難されてたんだ。僕も一緒です。ずっと愛想笑いをして、興味もない話に相づちを打って、女性たちのご機嫌とりをさせられる」
力なく笑ってみせた。この顔なら女性の相手に最適だろう。無理やり連れてこられたのかもしれない。
いいやつだなあ。
話し相手にもならないとわかったのに、俺に語りかけてくれる。宴から逃げ出した似たもの同士として、同情心のような仲間意識が芽生えたのかもしれない。それは俺にも同じことがいえて、どうにかしてこの美青年を明るい気持ちにしてやりたくなった。
青年にいざってトントンと肩先に触れた。顔を上げた青年に笑いかけて、自分の鼻を指した。
『ハク。俺はハク、ハクだよ。ハク』
何度も名前を繰り返した。言葉はわからなくても、名前くらいなら呼びあえる。
「……ハク。あなたの名前はハクというのですか?」
俺は名前を繰り返しながら、こくこく頷いた。わかってもらえて、とても嬉しかった。
「ハク………。僕の名前はジュゼル。ジュゼルです。わかります?」
「ジュ、ゼ、ル?」
発音を確かめるようにゆっくり口にした。合っているかというように、首を傾げた。ジュゼルは満面の笑みで大きく頷いた。俺も嬉しくてにこにこしてしまう。懐かしさと嬉しさに、思わずジュゼルの手を両手で握ってぶんぶん揺すった。
この感覚は久々だ。ウルヌスに拾われたばかりの頃を思い出す。言葉が通じないと、身振り手振りをまじえて理解してもらうのに必死になる。そしてわかってもらえた時は、どんなに些細な事柄でも飛び上がるほどの喜びを感じる。
俺の行動に目を丸くしていたジュゼルだったが、嫌がらずに笑っていた。
自己紹介の基本中の基本である名前を知ると、他のことも知りたくなった。
次に聞くなら………。
言葉を使わずに訊ねる方法を、腕組みして考えた。唸っていたので、ジュゼルが心配そうに「どうしたの?」と聞いてくる。
何か物でも使えばわかってもらえるかなぁ。でも、そんなに数の揃った物はこの部屋にないよな。
部屋を見回していると閃いた。もっと身近にいい物があったのだ。数は足りないけど、どうにかなるだろう。
ジュゼルに向きなおって、両手を拳にしてかかげた。意味のわからないジュゼルは戸惑っていたが、俺は安心させるように笑った。折った指を一本一本端から順番に伸ばしていく。右手が全部開いたら次は左手の親指。両手がパーになると、今度は左から順番に指を折っていく。右手の中指まで折ったところで止めてジュゼルを見た。薬指と小指が残った右手をジュゼルの顔に近づけて頭を傾けた。ジュゼルの鼻を指さして、もう一度手をかかげた。
ジュゼルはしばらく腕を組んで眉を寄せていたが、ぱっと顔が晴れ同じように両手を出した。指を立て両手がパーになると指を折りだした。左手がグーになり、右手の親指を折ったところで止まった。自分の鼻を指さして、もう一度左手のグーと親指だけ折り曲げた右手を見せた。
俺は首を縦に振りながら手を叩いた。いつの間にか二人とも腰を捻って、長椅子の上で向かい合って座っていた。
「歳を訊ねたんだよね? わかってくれたかな? 僕は十六歳だよ」
すごい、楽しくなってきた。ジェスチャーゲームみたいだな。
下ろそうとした腕を掴んで、さきほどと同じ格好にさせた。折っている六本の指を二本伸ばして、自分の鼻を指さす。
「えっ? ハクは…十四歳なの?」
両手をとって食い入るように顔を見つめてきた。俺の顔に本当の年齢が書いてあるみたいだ。
この手の反応には慣れた。体格のいいエヌオット人の中にいるから仕方ない、と怒る気力も湧かなくなった。
「部屋に入った時、綺麗な子がいるなと驚いたんだ。こうして近くで見ていると、とても可愛らしいからまだ子供なのかと思ってたんだけど…」
どこかを見ながら独り言のように呟いていたジュゼルが、不意に繋いだ手をぎゅっと握った。
「庭に出ませんか?」
横にある窓を指していった。
「バルコニーから庭におりられるんですよ。もうすぐ日が沈んで暗くなりますから、少しの間だけです」
言いながら立たされて、窓の前まで手を引かれた。
外には実際行きたかった。城へは今回で二度目だが、じっくり見たことはない。庭を見るのは今日が初めてだし、あの尖がった宮殿をもっと近くで見れるかもしれない。部屋で待つよう言われたので逡巡していたが、日が沈むまでという言葉を聞いて決心した。
空は絵の具で塗ったみたいな桃色だった。端のほうから青味がさし、仄かに菫色へと移り変わっている。
ジュゼルはほとんど何もしゃべらず、ずっと俺の手を引いて歩いてくれた。
「なんだ?! お前のその格好は」
「お前こそ、それではいつもと変わらんだろう!」
部屋の中で二人の男が言い合っていた。どちらの格好のほうが変か…いや、どちらの格好のほうが上手く溶け込んでいるか。
「だからいいんだよ。護衛兵はたくさんいるからな。まさかこの俺が紛れ込んでいるとは思うわねぇだろ。それに比べて、お前は全身布尽くめで見るからに怪しいじゃないか!」
「何を言う! これは実際にある国の民族衣装を模して作らせたものだ。第一、お前のような兵士に扮していれば行動に限度がある。自由に動き回るためには領事館関係者が一番適している」
そこへノックの音がしたので、二人は押し黙った。
「お、お茶をお持ちしました」
ポットやカップを載せたワゴンを押した給仕の男が入ってきた。長い前髪を垂らしていて陰気臭いし、自信の無さが動作に表れている。
「茶はいらん。下がれ」
髪の間から二人の機嫌を探るような視線を向けるのに、断られた紅茶をいそいそと注いでいた。三つのティーカップをのせたトレイを二人の前に差し出した。
「まあ、そんなことおっしゃらずに。私の分も持ってまいりましたので、飲みながら話しましょう」
その給仕とは思えない発言に二人とも唖然としていたが、重苦しい前髪から見えた顔に気づいた。
「ラウル、か…?」
「…はあ?」
給仕の男はしばらく何も言わずにじっと立っていたが、トレイを近くのテーブルに置くといきなりに大声で笑い出した。
「あははは、くくくっき、君たち…。全然気づかないから……、笑いを堪えるのに必死で…。っう、くっくっくっくっ……」
やっと笑いが治まると長い前髪をかきあげた。目尻に溜まった涙を拭っているが、いつもの完璧な微笑みに戻っている。
「はあ……。危うく君たちに殺されるところだったよ」
自分で入れた紅茶を一口啜った。
「ハーウェル、どうだった? それらしい人物はいたかい?」
「いいや。全員見たとは言い切れないが。容姿の特徴である見目のいい者は何人かいたが、体が小さいという程の者はいなかった。これと言って感じるものはなかったしな」
「そうですかぁ。…でも大丈夫です。見目麗しい異国の側室を探しているという噂は流しておきました。後日、何らかの反応が返ってくるでしょう」
「そのことだが、早速嫌味を言われたぞ」
「誰だ?」
「兄上の派閥の者だ。そっちを頑張るのもいいが自重せよ、というようなことを言われた」
ハーウェルはため息を吐いて続けた。
「今の俺は昔とは違うんだ。俺たちの中で誰が一番多く落とせるか競う気も、街で一夜限りの相手を求める気も、今はない。実際欲しているならいいが、側室を置く気もないのにそういう目で周りから見られるのは我慢ならない」
「巫が見つかるまでの辛抱だ。真実は側室探しじゃなく正妻探しなんだからいいじゃないか、言わせておけば」
ギルビスは肩を叩いて励ました。しばらくラウルの入れた紅茶を味わっていた。二人から少し離れて立っていたラウルは、じっとハーウェルを見ながら言った。
「側室探しをしている、という噂が流れるのを君は以前から納得していないようだったけど、……誰か聞かれたくない特定の相手がいるの? ハーウェルは他人の目を気にするような人間じゃないでしょう」
「俺だって気になるぞ。お前の言う特定の相手とは意味が違うが、父上や兄上の耳には入れたくない。随分心配させたからな。また始まったと思われるのは、嘘でも心苦しい」
「巫様を見つけだし、王に即位すればわかってもらえるよ」
しんみりとした空気をギルビスの太い声が打ち破った。
「なあ。お前好みのやつはいたか?」
ハーウェルは質問の意図がわからず、片眉をあげて見返した。
「巫はお前じゃないと見つけられないんだろ? ってことは、美人かどうかの判断はお前しだい」
得意そうにいってハーウェルの顔を指差した。
「ギルビス、凄いよ。そうか…、ハーウェルが選び出すのだから、ハーウェル好みの見目麗しい異国人なんだ。美しいと感じるのは人それぞれ違うから、曖昧な表現だと思っていたんだ」
「それで、どうなの?」
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