ハクの見る空 8


 ギルビスが扉に手をかけようとしたその時、勢いよく扉が開き中から人が飛び出してきた。
「鬱陶しい! 勝手にしろ!」
 大声で部屋に向けて怒鳴った。廊下に立っているギルビスとラウルに目が留まると、途端に表情をかえ優しい笑みを浮かべた。
「次期執政官のお二人、私は失礼いたします。あなた方もご自分の机に戻られて仕事を続けられてはいかがですか? 我が主君ながら、いつにも増して今日は使い物になりませぬ」
 そう言い捨てて、颯爽と廊下を歩いていった。

 部屋に入ると椅子の肘掛に肘をつき、頬をのせたハーウェルがむすっとした顔で窓の外を見ていた。二人に気づきちらっと視線を寄越したがすぐ戻した。頬にそえた指がトントンと忙しなくリズムを刻んでいる。
 ギルビスとラウルの二人は目を合わせて意味ありげに眉を動かすと、何も言わずに席についた。
「明日の宴の前に、いま一度巫の人物像について考えようと思いましてね。こういうものは一人で考えていても堂々巡りでいい結果が出ない。頭の中で考えるより意見を出し合って考えたほうが真実に近づきやすいものです」

 窓に向かって深いため息をついたハーウェルは、ようやく二人の顔を正面から見た。ラウルに目で続きを促した。
「巫を示唆した文章は覚えているかな? 前の部分の解釈に間違いはないでしょう。『エヌオット人ではない』こと『見目麗しい』こと『体は小さく心は大きい』ことの三つです」
「そうだな。エヌオット人じゃないのと、美人だっていうのは間違いないな。小さい器に豊かな心とかいうのは、それらに比べりゃわかりにくいけど他の解釈は思いつかないし、まず間違いないだろう」
「それで残すはあと一文だけ、―――欲を失い、色を失い、伝えもせず、ただその御心に民を国を王を思う。―――の文章だ。この部分の解釈について、ギルビスには何か考えはある?」
 話をふられたギルビスは腕を組んでしばらく考え込んだ。
「最後の国民や王を思ってるっていうのは、はっきりしてるけど……。待てよ…?」

「ただその御心に民を国を王を思う―――だったな。ただ心に民を国を王を思ってるってことだよな」
「それがどうした。そんなことはわかりきっているだろう」
「違う。俺が言いたいのは、巫は「ただエヌオットを思ってる」ってことだ」
 ハーウェルとラウルは釈然としない面持ちで話の続きを待つ。
「つまり、巫はエヌオットを思うくらいしかできないんじゃないのか?」
「どういうことだ? 巫だぞ? 幼い頃から何度も聞いただろう」

 ハーウェルが言うのも無理はない。エヌオットに古くから伝えられる巫様の話、それは小さな子供が寝る前に聞くおとぎ話。エヌオットの国を守り助けてくれる無敵の英雄の話だった。
「おとぎ話として聞かされていた巫様は、何でも思いのままにできる神のような存在です。私が小さい時には、巨人のような大男かと空想していたけど………ギルビスの言う通りかもしれないなぁ。…おとぎ話の巫様と王家の伝書に書かれた巫様は、同じ巫でありながら全く違う。美しいのはおとぎ話の中でも共通しているが、体が小さいとは伝え聞いていない。おそらく、我々国民が知っている巫の話は、まず王家の伝書があって、次に国民向けの話が生まれたのでしょう」
 ギルビスの発言によって閃いた新しい考えに興奮を隠せない。話についていけない二人は、渋い顔をして首を傾けた。考えをまとめたラウルはにっこり笑って語りかけた。

「巫については国家機密以上、国王だけが許される最高機密です。先に知られて見つけられでもすれば、巫様の身に危険が及ぶ。そのため伝書に書き記したものの王しか見てはいけないようになったんだよ。もし巫のおとぎ話がなかったとしたら…、聖誕の日に王子が生まれ、国王になるため巫を見つけ出し、即位の時隣に座らせたとしよう。どうなると思う?」
「そんな誰ともわからぬやから、国の者たちが納得するはずがない」
 ハーウェルの答えに満足し頷いてみせる。
「そんなことが起こらないよう、エヌオットの国民たちに『巫』という存在を浸透させ、信じさせ、敬わせるためにおとぎ話が生まれたんだ。言い伝えに出てきた巫様が現実に現れば、国民は喜んで受け入れるでしょう。つまり、私たちが知っているおとぎ話の中の巫は、巫ではあるが真の巫ではない。伝書が書かれた当初はどうだったかわからないが、話が伝えられるうち巫は姿をかえ、さまざまな能力を与えられ神のような超越した存在にかえられていったんだよ」
「…自分の中にある巫像は捨てろということか」
 ハーウェルの独白が部屋の空気を震わせた。

「巫は完璧、完全だと思ってたからなぁ」
 後ろ頭で手を組んで、どかっと組んだ足を机にのせた。ラウルも肩の力を抜き、柔らかな表情に戻った。
「その点は私も一緒だよ。全知全能の神だと思ってたから、急に実は人間味ある人物だと言われても想像つかないよ」
 大人から聞かされた巫の話にエヌオットの子供たちは誰もが憧れた。困っている民を助け、敵から国を守り、国王の隣に肩を並べて国を治める。

「エヌオットを思うくらいしかできない巫に何ができるんだ?」
 行く宛のないハーウェルの疑問の声が虚空に投げかけられた。
「そんな無力な人物が、本当に俺には必要なのか?」
「必要だ」
 小さいが、確かな声だった。彷徨っていたハーウェルの瞳がラウルを捉えた。
「巫がいなければ、君は国王になれないんだから」
 じっとお互いの目を見ていた。瞳の奥に映る自分自身を探るように見つめ、安堵に似たため息を吐く。再び目が合うとお互い口を歪めて笑い、気恥ずかしさを紛らわせた。

「神通力でも使って敵国の出方を先読みしたり、天候を操り旱魃(かんばつ)の被害から救ってくださったりするのかと期待してたんだが。もしかすると、巫はお前の心の支えになるのかもしれないな」
 もたれた椅子を傾けて前後に揺らしている。
「思うことしかできないけど、体は小さくても心はでっかいんだろ? だったら、お前が悩んだり迷ったりした時励ましたりしてくれるんじゃないか?」
「ふっ…なんとも頼りないな」
 自嘲するように鼻で笑った。
「まあ、初めから巫には期待してないからね。見つかって、ハーウェルの隣にさえ居てくれればいいよ」
 軽い調子でハーウェルを慰めた。ハーウェルは気を取り直して姿勢を正し、横道に逸れていた話の軌道を修正する。

「欲を失い、色を失い、伝えもせず―――の部分だが、その後が「ただエヌオットを思っている」という解釈で正しいなら、後ろにかかるよう否定の意味だ。『伝えもせず』は、誰にも言わない、もしくは言えない。「―――誰にも言わず、ただエヌオットを思う」何を失うのかはわからないが、失うというからには元は持っていたものだ。だから「欲と色を無くし、誰にも言わず、ただエヌオットを思う」になるだろう」
「随分と健気な印象だな」
「うーん。健気な巫なんて想像できねぇな」
「思い描いていた巫像を追い払わないと、目の前にある本物を見落としかねない」
 ギルビスとラウルの二人も黙って首を振った。

「喉が渇いたな。お茶でも頂きましょうか。二人も飲むでしょう」
 腰を上げて部屋の隅に準備してあるワゴンに向かった。
 ハーウェルの部屋にある茶葉は侍従がわざわざブレンドした特別なものだ。ティーポットに湯を注ぐと爽やかで瑞々しい芳醇な香りが広がる。蓋をして待つ間、ラウルはあえて触れなかった話に手を伸ばした。

「久しぶりだね。何で怒らせたの?」
 すぐに食いついてきたのはギルビスで、机にのせていた足を下ろして身をのりだした。
「金でもちょろまかして要らんものでも買ったのがバレたのか? それとも、街で夜遊びしているのがバレたか? ……ついにバンディの奥さんにまで手を出したか?!」
 明らかにからかいだしたギルビスに、ハーウェルは一瞥を投げたが何も反論しなかった。口を噤んでそっぽを向いている。
「珍しいなぁ。そんなに深刻なの?」
「………」
「まさか…、本当にバンディの奥さんに」
「するわけないだろう!」
「じゃあなに? 子供じみたイタズラでも見つかっちゃった?」
「………程度としては近くないこともない」
「なんだぁ? その言い方は。つまりは子供がやるような程度の低いことでら怒らせたってわけか」
「気になるなあ。なに?」
「どんなバカやったんだ?」

「……ただの、…や…あた…だ」
 途切れ途切れに聞こえてきた。「え?」と同時に聞き返す。
「だから、…八つ当たりだ」
「は? 一体なんの」
 少し視線を泳がせて躊躇うしぐさを見せたが、深い皺を眉間に寄せて重い口を開いた。
「ちょっと羨ましく思うところがあって、嫉妬して態度に出たんだ。それをバンディが怒って…」

 ギルビスとラウルの笑い声はなかなか止むことがなかった。




 今日は午後から休みをもらって、迎えに来たバンディと一緒に別荘へとやってきた。
 つい先日バンディにエッチなことをされてしまったのだが、本当の目的はそっちじゃなくて今日王宮で催される宴への誘いだった。舞手として城に入れば宴で踊ることも多いらしく、どんな雰囲気なのか一度来てみないかというのだ。
 散々泣いた後に誘われて、よく考えもせず行くといったのだが、翌日になって焦りはじめた。

 まず、宴の場所は王宮だ。当然偉い人たちがいっぱいいる。それに、俺自身。この世界で暮らして四ヶ月近く経ち言葉も不自由しなくなったが、エヌオットの習慣とか礼儀作法とか、知らないことはたくさんある。ウルヌスに相談しても「バンディ様がいれば心配ない」と言うし、ヘスにはバンディの名前を出すだけで機嫌が悪くなり話さえできなかった。
 その上、出席する俺の立場。宴は国の偉い人が主催するらしいけど、呼ばれているのは領事館関係者だとかで……。つまり俺は一切関係ないんだ。そこをどうするのか、というとバンディは笑って「俺もお前も変装するから大丈夫だ」と断言したので心配していなかったのだが…。

 前来た時と同じく、家に入ってすぐ風呂場へ押し込まれた。さっぱりして用意された服を手に取ろうとした時、バンディの意図がわかり俺は固まった。

 どうするよ、オイ。こんな格好に変装しなきゃいけないのか?
 落ち着いた薄青色の布地は織り目もつんでおらず涼しそうだ。ズボンを縛るウエスト部分は金色の帯で、質の良い物だって俺にでもわかる。
 バンディが用意してくれた服以外身に着けるものはない。体を拭いた布を巻いた姿で出ていけば、バンディに何かされそうだし………。

 バンディが待つ居間に入ると、扉を開け閉めして部屋に入る俺の一挙一動を見逃さないといった様子で注目していた。ソファーにも座らず、立ったままじっと注がれる視線が痛い。俺はどうしていいかわからなくて、扉を背にもじもじしていた。
 何かいえよぉおお。

 俯いていた顔をあげてバンディに視線をやると、ようやく金縛りが解けたようだった。手のひらを俺に向かって差し出したので、近づいていって躊躇いがちに自分の手をのせた。繋いだ手を頭の高さまで上げられて、くるっと円をかくように回された。その動きに倣ってその場でターンする。縛った帯から下にできたたっぷりとしたドレープが空気を含んでふわりと膨らんだ。
 身を屈めて手の甲に軽くキスすると、蕩けるような顔で見上げてきた。
「綺麗だ、…ハク。似合うとは思っていたが、これ程までとは………」
 半歩下がって、もう一度確かめるように足元からゆっくり視線が上ってくる。
「どこから見ても異国のご令嬢だ」

 バンディが言うように、俺が着ているのはアジアンテイストのドレス。まさか女装だとは思っていなかったので、ズボンだと思っていた。ワンピースで幅はかなりゆったりとしていて、裾は床をするくらい長い。帯でウエストを縛るとたくさんのドレープができ、俺が動くたびドレープにさざ波がおきた。

「なんで女装なわけ?! こんなんで人前に出れるわけないだろ。絶対男だってバレるぞ!」


 バンディから聞かされた俺の役どころは、領事館関係者の娘。エヌオットに来て日が浅いため言葉がわからないので、しゃべらなくていいという有難い設定だ。言葉遣いの悪い俺がいいとこのお嬢さんだなんて、すぐボロが出るに決まってる。見た目だっていくらこの国では華奢に見られても、ついてるもんはついてる紛れもない男だ。ぱっと見騙せても間近で見られれば気づかれるに違いないと必死に訴えたのだが、バンディの口から紡ぎだされる賛辞に否定する気力も萎えてしまった。

 今も、俺の肩を抱いて髪や顔中に唇を押し付けながら、人には聞かせられないような恥ずかしいことを言っている。
「まるで異国の姫君のようだ。ハクの美しい髪と瞳の色に青は良く似合う。そして白い肌を一層引き立ててくれる」
 また俺の手をとって上から下まで眺めている。
 は、ははは恥ずかしすぎる……。
 何が一番恥ずかしいって、バンディに褒められて喜んでいる自分に対してだ。女みたいだって言われて、普通なら怒るところなのにバンディに言われると、嬉しい。理由は何であれ、バンディに喜んでもらえて俺も嬉しいんだ。
 女扱いされて喜んでるなんて、どんだけ俺こいつのこと好きなんだよぉ。こんちくしょう!!
 下唇を噛んで熱をもった顔を伏せていると、顎をすくわれぺろっと唇を舐められた。
「こんなに美しい恋人を持って俺は幸せだ。だが、こんなに心配なことはない。このまま宴に行かず、誰にも見せずにこの屋敷のベッドでお前の肌を味わっていたい」

 俺を……、ほめ殺すつもりかああああああ!!!

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