ハクの見る空 6
今こそ飛び立とうと見事な翼を広げたイヌワシが彫り刻まれた彫像の近くに一組の男女。
「ハーウェル王子は即位を控えて、最近公務を減らされていると聞きましたが」
「ご自身の即位式がエヌオット国王としての最初の仕事。残すところあと一ヵ月半だ。準備に終われていらっしゃるのだろう。それに、エヌオット国王として必要な知識を習得中だとか。即位直前にそのような期間を設ける慣わしがあるそうだ」
「今から何を学ばれても代わり映えありませんでしょう」
「さよう。ヨルハン様は何を考えてハーウェル王子を次期国王に任命されたのか」
「順当に第一王子である我らが王子トゥルーフ様を次期国王にされればよろしいものを。王子とは名ばかりのハーウェル様に譲るとは、エヌオットもこの先どうなることか」
「ハーウェル様も優秀ではいらっしゃったが、トゥルーフ様には及びませんからな」
「その上、あのお人柄。王になるべくして生まれてきたようなお方。粗野で無粋なハーウェル様が血をわけたご兄弟とは信じがたいですわ」
「トゥルーフ様はこのような処遇にも、不満を漏らさずじっと耐えていらっしゃるご様子」
「私たち側近の者に要らぬ心配はかけまいと普段通りに振舞っていらっしゃるのでございましょう。本当に心根の優しいお方ですから」
彫像の台座の後ろにもたれて座っている男が、前方から歩いてくる人物に気づいた。目が合うと唇に一本指を立てた。彫像の前に立つ二人を親指で指し示す。
一つ頷いて、彫像の前方にまわりこんだ。
「こんなところで如何されましたか? トゥルーフ様の秘書官オルビー殿に、侍女頭マオン」
突然現れたギルビスに声をかけられ、狼狽する二人は何も答えられなかった。
「お二人で日光浴ですか? あまり長い時間いると熱中症になりますよ」
揶揄するような言い方に反論もせず、二人は挨拶もそこそこに競うようにしてその場を後にした。
二人のうしろ姿が城に入っていくのを見送って、ギルビスは彫像の後ろに隠れた友人に声をかけた。
「立聞きか?」
「失礼だね。座っているから盗み聞きでしょうに」
立ち上がって服を払いながら可笑しそうに答えた。
「何が失礼だ。で、あいつらどんな話してたんだ?」
「言わなくてもわかるでしょう。いつも通りハーウェルの陰口、トゥルーフ様の賛辞」
「ああ、いつも通りだな。ハーウェルの即位を前に何かやらかしそうか?」
「そうだねぇ…、オルビーは胆の小さい男ですから。侍女のマオンはトゥルーフ様の乳母も務めていた身。どちらかといえばマオンのほうが危ないけれど、謀反を起こすほどではないと思うよ。トゥルーフ様の側近には見張りのものをつけているし、心配ないでしょう」
「自ら盗み聞きしておいてか?」
「偶然ですよ」
ラウルが両の手のひらを開いて首をすくめた。
「話があるんだ。ハーウェルも呼んで議事室へ行こう。こんなところでは誰に聞かれるともわからないからね」
「この忙しい時期に宴だぁ?」
ラウルの話を聞いて、眉をつりあげた。
「そう。各国領事館に勤める大使を始め、領事館職員を呼んで宴を催す。期日は三日後。二人とも開けておくようにね」
「俺も出席するのか?」
「今回の主催は外務長官だからハーウェルに王子として出てもらっては困るんだ。身分と顔を隠して出席してもらうよ」
「どういうことだ?」
「ヨルハン様に折り入ってお願い申し上げたんだ。領事館職員が出席する宴を開いてくださるようにね」
「領事館職員のなかに巫がいると?」
「ご明察。領事館には当たり前だが異邦人しかいない。職員たちを一同に城へ集めれば探す手間がずいぶん省けます」
「なるほどな。エヌオットに住む他国出身者は必ずその土地の主領に届け出る。届出はピサリにある各国の領事館にまわってくるから、領事館の者から話を聞けばエヌオットに住むほぼ全ての異邦人についての情報が得られるってわけだ」
「その通りです。職員は身元のはっきりした人間ばかりですから、毎夜の如く城を脱け出し、街を徘徊して危険を冒さなくてもいい。とても簡単で安全な方法でしょう」
「ラウル、俺は純粋に巫を探しているのであってだな、決して疾しい気持ちなどない」
指摘されたハーウェルは弁解した。二人の耳には言い訳にしか聞こえないとも知らずに。
呆れたギルビスが助け舟をだした。
「巫様は見目麗しいはずだよな。なら、例え身分の低い地方のものでも噂くらいは聞いているだろうし。次期国王が美しい異邦人を後宮に迎え入れようと探している、とでも伝えればどうだ?」
「ギルビス、いい案ですね。それでいきましょう」
「お前たち勝手なことを言うな! 王にもならないうちに側室を探す不届き者がどこにいる!」
「目の前におられます。巫を探すため、二晩に一度は城を脱け出していらっしゃいますが、……本当に巫を探されていますか? 疾しい気持ちは一欠けらもないと言い切れますか?」
一歩一歩近づきながら、ハーウェルを畳み掛ける。鼻先が触れるほどの距離までくると、常に張りついた柔らかな笑みを瞬時に消し去った。
「毎夜同じ場所へ通ってるんじゃないか?」
普段のラウルとは違う口調。ラウルのこの変貌振りに、幼い頃からの友人である二人は身じろぎもできなかった。
穏やかな話し方に物腰は、誰もがラウルを優しい大人しそうな人物だと思うのだが、二人が描くラウルという人物像は全く違った。
いつも浮かべた笑みは相手の警戒心を解き懐に入りやすくするため。心にも思っていないことでもすらすらと淀みなく動く口。それらは決してラウルの本心を表しはしない。
ハーウェルは底冷えするようなラウルの淡碧色の瞳を見返した。言われた本人でもないギルビスでさえも、ラウルを見ないよう顔を背けていた。
「どうかしましたか? 二人とも静かだね。鎌をかけたつもりが見事に言い当てたのかな?」
にっこりと満面の笑み浮かべたラウルに、唇を噛んで悔しがっだ。
「くそっ! 鎌をかけたのか」
「仕事さえしてくだされば、どちらへ行かれても何も文句はないのですよ。……異邦人の側室をご所望ってことで、いいですね」
首を縦に振ったハーウェルの肩を、ギルビスが勢いよくつかんだ。
「まあ、あれだ。『即位直前の側室探し』も、ハーウェルなら皆が信じる。今まで散々バカな真似してきた甲斐があるってもんだ」
「そのバカな真似を一緒になってやっていたのはお前たちだろう」
「言いだすのは、決まってお前だったじゃねえか」
「俺が思いついたのをあいつが具体化して、お前が増長するんだろう?!」
昔起こした悪事について、責任の擦り合いが始まった。
「外務長官たちにバレないよう、変装しないとねぇ」
さも楽しみだ、というようにラウルは声を弾ませた。
明り取り窓から降りそそぐ青白い月光が、厩の室内を照らしだしていた。
時折、鼻息を荒げて足元を踏み鳴らす。ぶるぶると体を震う音がする。
馬の息づかい、体から発する水蒸気、厩特有の臭い。そのどれもが己の存在を主張する。
だから癒されるのかな。一人じゃないんだって、ここで確かめてるみたい。それとも、これは夢じゃない現実だって、確かめてるのかな。
ほう、とため息をついた。
お城で芸人として生きると決めてから、夜になって時間が空くと言い知れない恐怖に襲われた。自分の寝床で寝ても、目が覚めたらまた違う世界にいるんじゃないかって。
それは劇団を離れる不安、知らない場所に飛び込む不安からくるものだったと思う。
少なくとも二十年は会えないと言われ、俺にしてみれば一生会えなくなるに等しかった。「また全てなくしてしまう」と思ってた。
でも、二十年くらい一生じゃない。途中で辞めてしまえば自由に会いに行ける。もう一度劇団で働くこともできるかもしれない。
元の世界にだって帰れないと決まったわけじゃない。今はわからないけど、将来帰る方法が見つかる可能性だってある。今手のひらにないからって、この先ずうっと?めないわけじゃないんだ。
考え方を変えてくれた、黄金色の瞳を思い出した。
俺を頼れって、一生傍にいるって、言ってくれた。口にするのは簡単だけど、軽い気持ちで言ったんじゃないのは目を見ればわかった。
炎の揺らめきが瞳に映って、まるでバンディの瞳が光を放ってるみたいで凄く綺麗だったなぁ。
…え? なんか俺、おかしくないか? 男の目ぇ見て綺麗とか。
そういえば、あの時ほっぺた舐められたんだ! 猫みたいだとか言っちゃったけど、それ以前に恋人みたいじゃないか?! 大丈夫かオレ!!
……確か、馬に乗せてもらった時も頬っぺたにキスされたよな、ちゅって………。きっと、あれだ! この世界の挨拶だ! ウルヌスたちはやらないけど、バンディは近衛とかやってる身分の高い人だから挨拶も正式なのをするんだ。
俺は腕を組んで、自分の考えに何度も頷いた。
あっ、え? …待てよ。バンディが慰めてくれた時………。
「―――俺を、もっと好きになれ。―――俺が全部包んでやる」
「俺はどこにも行かない。一生お前の傍にいる」
「―――神に誓って、お前の傍を離れない」
これって、男が男を慰める台詞か? …待ってよ、ホラ。結婚式でいう台詞みたいじゃない? それか、プロポーズとか。
ええええええええ!!!
俺は椅子代わりにしていた干草の束を、思わず一掴み引き抜いた。両手で持った干草を、知らないうちにぶちぶち千切っていた。
いやいやいや、男同士だし。あああ、エヌオットは同性オッケーなんだった。じゃあ、バンディはそういう意味で……? まっさかあぁ、あんないい男が俺みたいなガキ相手にするわけないよ!
実際、俺はバンディの言葉で元気になっちゃったわけだけど……。ということは、問題があるのは俺?
もしかして、あいつを好きになったとか? 好きなやつにあんなこと言われたから悩みもぶっ飛んだって?!
顔は整ってるし、長身で筋肉もついてスタイルいいし、優しいし面倒見はいいし……。黙ってるとちょっと怖くて近寄りがたいけど、笑うと雰囲気が柔らかくなって擦り寄りたくなる。冗談をいった時は、大人のくせに子供みたいに屈託ない笑顔になる。
俺、…バンディのこと………。
「ハク、いるか?」
遠慮がちに開いた扉の隙間から、誰かがこちらを窺っていた。
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