ハクの見る空 5


 パンを頬張り昼の休憩をとっていると、ハクが息を切らせてやってきた。息を整える間もあけず口から出た言葉は―――
「ハクッ! 城にあがるって本当か?!」

 ああ、ウルヌスから聞いたんだな。
「うん、本当だ」
「な……、なんで?」
 審査の結果は後日連絡するというので、劇団で今まで通り仕事をしていた。二日後に王宮からの書簡を携えてやってきたのはバンディだった。読んでもらった書簡には、仕度ができしだい楽芸部に召すようにと書かれていた。
「いつ、…いつ行くんだ?」
「みんながピサリを離れる日。…後十日、かな。………最初は行くつもりなかったんだ。この劇団が好きだし、みんなと居たかったし、王宮に何十年も入ったまま誰にも会えないなんて絶対イヤだって思ってた。ウルヌスに俺は行くつもりない、ここで働いて拾ってもらった恩返しがしたいって言ったんだ。そしたら、厩の掃除や雑用は誰だってできる、お前にしかできないことをしろって言ってくれた。それに、王宮の芸人が居た劇団だって自慢できるって」
 ウルヌスは自分のことのように喜んでくれた。俺の気持ちが一番重要だって言いながらも、俺が後ろ髪を引かれないよう背中を押してくれた。
「でっでも、街に出られないんだぞ。会えなくなるんだぞ? 寂しくないのかよ」
「もちろん寂しいよ。……俺、みんなと比べて体小さくて非力だからあんまり役に立たないだろ。お城に行くことで少しでも役に立てるなら、…そうしたい」
「俺たちのために行くのかよ!」
「違う、それだけじゃないよ。おれ根っから体動かすの好きだから、毎日練習して誰かに披露できるなんて最高だよ」

「………俺の、せいか? 俺のせいで居づらくなった?」
 俺の目を見ないで、眉根を寄せていた。
 ヘスと和解してから、朝夕の食事は一緒だし、仕事をしている日中も暇を見つけては俺のところにやってきた。話し合ってわだかまりが綺麗さっぱりなくなった俺は、友だちとして笑って話していたけど、ヘスはそうもいかなかったようだ。たまに、こうやって不安そうな顔をする。
「あれは許したっていっただろ。もう気にしてないんだから、ヘスだって蒸し返すなよ。…一生会えないわけじゃないんだからさ。それにバンディがみんなの様子をこっそり教えてくれるって約束してくれたんだ。一年に一回くらいはピサリに来るだろ?」
「バンディって、最近お前に会いにきてる兵士みたいなやつ?」
 途端にヘスは不機嫌な顔にかわった。
 唇をちょっと尖らせて、こういう表情見るとやっぱり子供だな。俺よりでかい十二歳だけど。
「そう。バンディが俺を見つけてくれたから、お城に入っても面倒みてくれるみたい」
 書簡を持ってきてくれてからも、二度様子を見にきてくれた。劇団の夕食を頼んである食堂屋で一緒に食事をとりながら王宮がどんなところかとか、俺が所属する楽芸部についてとか、いろんな話をしてくれた。環境が変わる不安を少しでも減らそうと気をつかってくれるんだ。
「ピサリに来たらあいつから俺の様子聞いてくれよ。楽芸部の芸人たちは辞めるまで城から出られないけど、他の人たちは自由なんだ。バンディは王宮で近衛の団長やってるらしいから。すげえよな、あんな若いのに団長だって」
「あいつ頻繁に来すぎじゃねぇ? 近衛の団長なら仕事忙しいだろうに……。あいつ、本当に近衛なのか? ハクはエヌオットに来て間もないから、騙されてるんじゃ」
 ヘスが言い終わるまで聞いていられなかった。
「どうして俺を騙すんだよ。俺なんか騙しても何の得にもならないだろ。それに、バンディは本物だよ。お城の西側って森になってるだろ。王宮に連れてってもらう前に、その森の中にある家に連れてかれたんだ。特別に別荘として使わせてもらってるって言ってた」
 バンディが悪く言われるのが我慢ならなかった。一方的に俺を迎えにきた時、今の仕事を悪く言われて頭にきた。でも、子供の俺を心配して言ってくれたみたいだし、話をしてみると気配りのできる優しい人だってわかった。

「別荘? そんなもの与えられてんのか。……だったら、本物なのか」
「当たり前だろ。バンディは嘘つくようなやつじゃない」
 笑ってヘスに言うと、口をアヒルみたいに突き出して拗ねた。俺は遠慮せず大声で笑ってやった。


 俺は黙々と食事をしていた。
 そう、黙々と。

「ハクは本当に白いな。それに腕も細いし」
 机に置いていた左手を掴もうとしてきたので、中央に置かれたかごの中からパンを取った。
「細いわりによく食べるな。あと三年か四年は成長期だから、まだまだ成長するぞ。ハクは絶対綺麗になるだろうなあ。直接見れないのが残念だ……でも、今のままのハクも綺麗だよ」
 睨み付けたいのをぐっと堪えた。
「城の食事はきっと豪勢なんだろうけど、食べすぎには注意してくれよ。ハクは太らない体質かもしれないけど、いつまでもそうとは限らないからな。久しぶりに会ってハクが太ってたら俺すっごいショックだもん」

 拳を机に振り下ろし、ドンと大きな音が食堂内に響いた。周りのみんなが注目しているのがわかったけど止められない。
「ヘス! さっきから黙って聞いてれば、勝手なこといいやがって……。新手の嫌がらせか?! 飯が不味くなる!」
「………ごめん。俺…もうすぐ会えなくなると思ったら、じっとしてられなくて」
 最後に「好きだから」と呟き、シュンとうな垂れたヘス。
 あちゃー。また叱られた子犬になっちゃった。
 そっか、俺が王宮に行くのわかったから、急に変なこと言い出したのか。
「何度も言うようだけど、俺は女の人が好きなんだ。同性っていうのは、正直考えられない」
「エヌオットでは性別なんて関係ない!」
「それは何度も聞いたけど」
「ハクの気持ちを無視したりしない。だから、ここに居る間だけでも」
 眉間に皺をよせて切なそうな顔で見つめてくる。
 頼むからその叱られた子犬顔はやめてくれ!
 なんで俺がこんなデカイ年下に言い寄られるんだ?! しかも男!
 何かの間違いじゃないのかぁ? 俺が女に見える、わけないし。同性でもオッケーだって言ってたしなあ。女にも言い寄られた経験ないのに、どうしてこんな年下叱られた子犬…いや、叱られた大型犬に………。

「ハク! バンディ様がいらっしゃったぞ」
 救いの神が現れた!!!
 慌しく椅子を鳴らして立ち上がると、隣に座ったヘスへの挨拶もそこそこに食堂から飛び出した。


「うわっ!」
 外に出て走ろうとした俺は目の前の壁に思いっ切りぶつかった。反動で後ろに倒れそうになったが、衝撃はこない。
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
「バ、バンディ!」
 穏やかな笑みにほっとする。倒れないよう腰に手をまわして支えてくれたのだ。
 思わず大きな胸に抱きついた。
「いいところに来てくれた! あっち行こう!」

 腕をつかんで広場まで連れて行き、誰もいないテントに押し込んだ。
「何かあったのか?」
「俺が城に行くって、もうみんなにばれちゃってさ」
 年下の男に迫られてました。とは言えなくて、咄嗟に口をついた台詞がしんみりとした気分にさせた。

 あれ、…どうしちゃったんだろ俺。なんか喋んないと。
 ………。
 バンディに目で助けを求めた。
 肩をつかまれ腕の中に引き寄せられる。大きな手のひらが背中を撫で、押し黙った俺を慰めてくれた。
 ほっと息を吐いて身を任せていた。

 どのくらいそうしていただろう。
 落ち着いてきたかな、と思ったのに、鼻の奥がキューっと痛くなって色んなものが溢れそうだ。顔をしかめて堪えていると、俺の様子を訝しがった。
「抑えずに吐き出せばいい。俺が聞いてやる。……我慢するのはよくないんだろう?」
「そ、れは…。笑顔のこと言ったんで…」
「どんな感情でも同じことだ。事実、お前……変な顔してるぞ?」
「ひっひでえ。…そりゃ、あんたと違って……もとが悪いから、よ、余計…ふっ、うぅ」
 堰を切ったように気持ちが動きだす。
「おれ嬉しいんだ。…嬉しいんだよ? 自分の意思で決めたし…後悔も、してない。うっく…でも、……やっぱりみんなと別れるのは嫌だ。………ここが好きなんだ。みんなが好きだし、この生活が好きだ。…だから。すごく…さび、しぃ」

 別れるのが辛い。
 一生会えなくなるわけじゃないってわかってるけど…。もしかしたら、二度と会えないかもしれない。
 この世界で初めて優しくしてくれた人たち。
 一緒に寝て起きて、みんなでご飯食べて仕事して……。大きな家族みたいな存在。
 親も、家も、友達も、学校も……。何もかも全部なくして一人ぼっちだった俺に、居場所をくれた。
 やっと手に入れた大切な場所を、また失うのが怖い。
 俺はまた一人ぼっちになってしまう。

「ハク、そんなに劇団の者たちが好きか?」
 鼻をすすりながらこくりと頷いた。
「俺は?」
 ………?
「俺は好きか?」
「え…、すき…だけど?」
「俺がいる。毎日会いに行く。だから俺を頼れ。頼って…俺を、もっと好きになれ。寂しい気持ちは埋められないが、俺が全部包んでやる」
 腕の中からバンディを見上げた。ランプの小さな炎が金の瞳のなかで揺らめいていた。
「俺はどこにも行かない。一生お前の傍にいる」
 炎の赤い光が差しこんで黄金色の色彩を放つ。見つめていると、吸い込まれそうなほどの深さを感じる。
「ほんとに? バンディはずっと傍にいてくれる?」
 ゆっくりと瞬きをした。
「ぜったい?」
「絶対だ。神に誓って、お前の傍を離れない」
 確かめずにはいられない俺に、神様まで引き合いに出してくれた。
 嬉しくて、ほっとして、自然と笑えた。
「安心した」
 それでもまだぐすぐす言っている俺の頬に、バンディの唇が近づいた。頬をつたった涙の痕を舐められる。くすぐったくて首をすくめて逃げるのに、しつこくバンディが追いかけてきた。
「もう…。猫じゃないんだから」
 くすくす笑って、両手で胸を押し返した。
 本心は、もうちょっとこうして居たかった。バンディの優しさが心地良くて…、でも少し照れくさくなったのだ。

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