ハクの見る空 4


 ヘスとのいざこざが解決してほっとした俺は、翌朝寝坊してしまった。
 いつも一番に起きて、厩の様子を見に行く。馬を触って話しかけたりして癒されてから、厩の掃除に取り掛かるんだ。
 今日は寝坊してしまったので、馬とのリフレッシュタイムが取れなかった。

 厩の掃除を終え、たっぷりの水と餌を与えていると誰かに呼ばれた。
「ハクに客だって」

 訝しく思いながらも後をついていくと、黒いマントを羽織った大きな男が待っていた。
「あれ? あんたは……バンディ?」
「何をしているんだ! 昨日用意をしておけと言い置いただろう。顔も薄汚れたままじゃないか! 湯浴みくらいしておけ」
 なに? なんで俺怒られてんの? 昨日少し話しただけの見ず知らずの人に。
「……いきなり来て、そんなに怒ることないだろ?! その前に、どうして俺がそんなことしなきゃいけないわけ? あんたの目的はなんだよ!」
「昨日の話も覚えていないのか?! お前はこれから王宮に行って芸人の審査選考会を受けるんだ。………仕方ない、その格好で行く。着いて来い」
 いい終わる前に背中を向けて歩きだした。
 なんつう自分勝手なやつだ!
「待てよ! 確かに昨日も聞いたけど、…芸人の審査選考会て何だよ?」
「王宮の楽芸部が行っている、芸人たちの起用を選定する場だ。選ばれたものは王宮に召され、宴などの催しで自分たちの芸を披露するんだ。昨日のお前を見て必ず受かると思った。だから来い」
「あ、あんた何なわけ? 必ず受かるって、あんたに決定権でもあんの?」
「俺は……近衛として王宮に仕えている者だ。今まで色んな舞を見てきたが、昨日のお前のように飛び跳ねて空中で体を回転させるやつは初めてだ。あれに音楽に合わせて舞えば起用されるに違いない!」
 熱く語ってくれたバンディに唖然したが、正直嬉しかった。昨日の子供たちのようにきらきら光る金色の目がなんだかくすぐったい。

 見知らぬ世界にきて、戸惑いと早く慣れようと一生懸命になって過ごしてきた毎日に、自分の好きなことなんてすっかり忘れていた。それを昨日の子供たちの前で出し抜けに思い出し、その後しばらく気分が舞い上がっていたのも事実だ。
 小さい頃から身軽で体を動かすのが好きだった。誰かに見てもらえるっていうのも気持ちいい。………でも。

「……俺、仕事があるんだ。今日は舞台が休みだけど、雑用はいっぱいあるし。王様とか偉い人たちの前で披露できるならもちろんやってみたいけど、………折角誘ってくれたのにごめん」
 バンディに頭をさげた。

「うちのものが、何か失礼でもいたしましたか?」
 何か言おうと詰め寄ってきたバンディと、俺との間に割り込んできたのはウルヌスだった。

 バンディの話を聞いて、ウルヌスは考え込んでいるようだった。
「もしハクが選ばれて王宮勤めになるなら、こんなに喜ばしいことはありません。ですが……」
 言いよどむと、俺のほうに向きなおった。腰を屈めて、俺の目を覗き込む。
「ハク、お前はいいのか? 仕事くらい休んでくれてかまわないが、受かったとなればすぐにでも王宮に召されるだろう。ここでの暮らしはやめて、王宮で芸人としての暮らしが始まる。一度入れば簡単には出てこれないんだぞ?」
「えっそうなのか?」
 てっきり街からでも通うのかと思っていた。簡単に出られないって……。
「情報漏洩や暗殺を未然に防ぐため、外部との接触は完全に断たれる。舞手は体力を必要とするから、楽人に比べれば芸人としての寿命は短い。例外として体を壊せば城を出されるが、故障しない限り……お前なら二十年から三十年近く勤められるだろう」
「そ…んな、長く? ………俺、床の演技するの好きだから、それが仕事になるならすごい嬉しい。でも、ここを離れるなんて考えられないよ。やっと慣れてきたし、ヘスとも仲良くなれそうだし、みんなに一杯世話になったのに、何十年も会えなくなるなんて…」
「王宮にあがれば、根無し草のような生活をする必要はない。住むところは楽芸部の寮がある、食事だって用意される。毎日自分の芸に磨きをかけ、鍛錬するのが仕事になるんだぞ? 今の暮らしとでは、比べるに値しないだろう」
「…生活がどうこう言ってるんじゃないんだ! 俺は、この劇団のみんなが好きだ! だから会えなくなるのが嫌なんだよ!!」
 見当ハズレな言い草に、掴みかかる勢いで叫んだ。つい力が入ってしまい、両手が勝手に握りこぶしをつくっていた。落ち着け、と言うようにぽんぽんと軽くウルヌスが肩を叩いた。
「バンディ様、もしハクが城に仕えることになっても今日からではありませんよね?」
 頷いたのを見てとると、ウルヌスが再び俺に視線を戻した。
「だったら、ハク。バンディ様に連れて行ってもらえ。バンディ様は絶対だとおっしゃるが、決定したわけじゃない。審査官の前で演舞して、結果が出てから考えてもいいんじゃないか? 構いませんか?」
 振り返ったウルヌスの背後で、仏頂面をしたバンディが頷くのがわかった。
 それでも仕事を気にしていると「王宮なんて初めてだろ? 観光気分で行ってこい。心配すんな」と、背中を押してくれた。


「うわ〜すげえぇ」
 直接王宮に連れてこられると思っていた俺は、森の中にぽっかりとひらいた草原に建つこぢんまりとした家に通された。
「バンディの家なのか?」
「ここは別荘のようなもので、普段使っているのは王宮近くの近衛専用寮にある部屋だ。俺は近衛師団の団長だから特別に使わせてもらっているんだ」
 家のなかを探検したくてうずうずしていた俺は、バンディの説明を適当に聞き流して辺りを見回していた。落ち着きのない俺はソファーに座る間もなく、問答無用で風呂場に押し込まれた。

 バンディが「そんな格好では連れて行けない」と真剣に言うので、俺ってそんなにやばい格好なのかとやっと自覚した。
 この世界にきて、風呂には一度も入っていない。水浴びか布で体を拭くくらいだ。ピサリには公衆浴場という銭湯みたいなところがあるけど、エヌオットの国籍みたいなのがないと入れない。つまり外国人お断りなんだ。風呂は好きなのでみんなのように入りたいけど、三ヶ月も風呂に入ってないから慣れてしまった。服はたまに洗ってるからいいけど、体は水で洗うだけなので薄汚れてしまっている。でも褐色の肌をしたエヌオット人のなかで白い俺は目立つから、汚れていてるとちょうど良かった。
 しぶしぶ体を洗っていたが、久々の熱い湯に上機嫌で風呂場を出ると新しい服が用意されていた。それを身に着けて部屋に戻ると、バンディはゆったりとソファーに腰をおろしていた。背を向けて座っていたバンディが振り返って俺を視界に入れると、硬直したように動きが止まった。怪訝に思って、歩み寄り顔の前で手を振るとようやく正気を取り戻してくれた。
「人の顔みるなり固まりやがって。失礼だぞ」
「あぁ、その……想像以上に肌が白いので驚いてしまっただけだ」
 視線をそらしたバンディの耳がこころなしか赤くなっているように見えた。
「そんなに白いかな? 確かに褐色の肌以外この国で会ったことないけど」
「ハクはどこの出身だ?」
 出会った昨日も同じ質問をされた。
「…信じてもらえないだろうけど、……俺この世界の人間じゃないんだ。三ヶ月くらい前に目が覚めたら何故かこの世界に居て、どうやって来たのかわからないし帰り方も検討つかないし……。で、今は拾ってくれたウルヌスに甘えて劇団の雑用やって生かしてもらってる」
 信じてもらえたかわからないが、バンディは話の腰をおることなく静かに耳を傾けていた。
「だからあそこを離れるのは嫌なんだ。言葉もわからない俺を助けてくれたんだ。たくさん働いて恩返ししたいんだよ」
 劇団のみんなの顔を思い出し、そっと目を閉じた。

「すまない」
「え?!」
 見るとバンディの金色の頭が深々とさげられていた。
「そんな殊勝な心がけで働いていたとは…。根無し草などと失礼な言い方をしてしまった」
「そりゃ、多少ムカついたけど…別に改まって謝ってもらわなくていいよ」
 慌ててバンディの肩にすがって必死で顔をあげさせた。
 昨日も今日も、こんなのばっかだなぁ。
「お前の舞に心打たれたのは事実だが、あのようなところで働いているからなお更、王宮に入ったほうが良いと思ったのだ。これは旅芸人たちを見下しているわけではない。ただ、幼いお前が各地を転々とする旅芸人たちの下で仕事し、生活をともにするのは負担が大きすぎる。身寄りがないのなら俺が後見人になる。王宮にいれば芸の稽古をしながら勉強だってできるんだ。きっとあの座長殿も、ハクが王宮にあがるよう勧めるぞ」
「……でも、選ばれるとは限らないし。その時になってから悩ませてもらうよ。それに俺…」
 またこいつも俺を十歳くらいだと勘違いしてる。
 訂正しようとしたところで遮られた。
「まずい! のんびりしている時間はない。早く出るぞ」




「たいしたやつだな、お前」
「え?」
「緊張していなかっただろう? 逆に、楽しそうに舞っていたな」
 広場から見えていた尖がりは予想通り王宮だった。俺たちが入ったのはもっと手前にある建物だったけど、何から何まで初めて目にするものばかりで周りに気をとられて緊張する暇もなかった。
 会場の大きな広間には見たこともない楽器を持った人びとや、何に使うのかよくわからない道具を持った人が集まっていた。楽人は音が混じるせいか一組ずつ演奏していたが、舞手などの芸人は三組ずつ演舞していた。その間を、品の良いおじさんたちがうろうろしながら評価していたので、気負わずに演技できた。

「緊張はしてたよ。でも久しぶりに思いっ切り跳べたし、体動かせたし…。やっぱり俺、すっげえ好きなんだ」
 今日は楽しかった。
 受かったら王宮で生活するとかは頭からすっ飛んで、真剣に演技を楽しめた。
 今は心地良い疲労感と、未だ燻っている高揚感に体を包まれながら、バンディの馬でポンマルト広場へ帰る道中だ。
「バンディもありがと。あんたが演奏してくれた琴みたいな楽器に合わせたら、初めてなのに体に馴染んで、動きやすくて、すっごく気持ちよかった。全部バンディのお蔭だ。本当にありがとう」
 体をひねって見上げると、バンディの口元が歪んでいた。
 変な顔。
 嬉しいなら笑えばいいのに、照れてんのかな。いい大人のくせに。
 気づかれないよう、声を出さずにくくくっと笑った。
「何が可笑しい」
「えっと、…別に? バンディがさっきした顔、変だなぁと思っただけ」
「顔が変とは、………初めて言われたぞ」
 拗ねた口調が余計に幼く感じて、見た目とのギャップに俺は声をあげて笑ってしまった。
「あははっくっ、くくっ………何だよ、それ。格好いいって言われ慣れてるってことか? バンディの顔なら当然か。顔の出来がいいやつは言うことが違うなぁ」
「変なのか、格好いいのか、どっちなんだ?」
「え? そりゃ格好いいに決まってるよ。エヌオットの人ってさ、顔立ちがすっきりしてて整ってる人が多いけど、バンディはそのなかでも飛び抜けてるよな。金色みたいな瞳も髪の色もその肌にあってて綺麗だよ」
 俺の体を挟みこんで手綱を握っていた手が、片方だけ脇腹に回された。バンディの体が俺を包むように覆いかぶさってきた。
 何してんだ?
 バンディの顔が見たかったが、俺の頭に鼻先を埋めていて叶わなかった。腕の中でもじもじしだすと、すぐ離れた。
「お褒めにあずかり、光栄だ」
 今度は、素直な笑みが浮かんでいる。
「あんたの今の顔、すげえいいよ。我慢せずに笑えばいい」
 大きな手が俺の顎をつかんで、少し傾けられるとちゅっと頬に唇があたった。くすぐったくて身をよじった。
 親愛の印かな?
 顔色を窺うと穏やかな笑みを向けられた。

前  戻る  次