ハクの見る空 3


 俺のコンプレックスは女みたいな顔と華奢で小さな体。
「黒目が大きくてかわいい」というのが褒め言葉に聞こえていたのは幼稚園まで。白い肌にぷっくりと赤い唇が浮いていて、自分でも気持ち悪かったが両親はいつも褒めていた。
 小学校高学年くらいまでは周りの友だちより背は大きかったが、中学に入ってからはみんなにぐんぐん追い抜かれてしまい、気がつけば列の先頭に立っていた。鍛えても筋肉がつかないもやしみたいな体に、母親によく似た女顔はある意味ぴったりだった。

 ヘスからもウルヌスからも逃げ出した俺は、街にある共同井戸の石組みにもたれてうな垂れていた。

 ウルヌスは厩でのびているヘスを見つけたかな。
 あいつ、なんて言い訳しただろう。本当のことを言っただろうか。
 もし、俺を強姦しようとしたってウルヌスが知ったら……。あそこを出て行かないといけないだろうな。
 ヘスはエヌオットの人間だし、俺が来るより前から劇団で働いていた。気まずくなって出て行くのは新参者の俺ほうだ。
 あいつもきっと不安だったんだろうな。俺みたいな容姿のやつは見たことないらしいから。
 俺が敵国から放たれたスパイみたいにいってた。そこまで考える想像力も凄いけど、それだけ俺の存在が不安だったんだ。ヘスはまだ十代のようだし、他の大人たちのように見た目の違う俺を受け入れられるほど人生経験を積んでいないのかもしれない。

 いちいち突っ掛かってくるヘスが鬱陶しくて無視していたが、誤解を解くために自分から歩み寄るべきだった。もっと話をして、仲良くなって…………でも、もう遅いか。
 不安に駆られたヘスを男の俺に強姦しようとするほど追い詰めてしまった。例え許すといっても、ヘスの中にあるわだかまりは拭いきれないかもしれない。

 ヘスやウルヌスや他のみんなのためにも、俺はこのまま出て行ったほうがいいのかも。

 やっと言葉も覚えて、少しは役に立つようになったつもりだ。拾ってくれたウルヌスに優しくしてくれたみんな、ヘスにはあんなことされたけどあいつも根はいいやつだって知ってる。馴染んできた居場所を離れるのは辛いし、劇団を離れてもどこに行けばいいのか見当もつかない。
 立ち上がる気力も失せて、膝を抱えて頭をうずめた。
 自分が出した決断なのに。………ヘタレすぎだぞ、俺。めそめそしてても始まらない、か。
 涙が零れないうちに、勢いよく立ち上がった。長い間小さく蹲っていた体を、ぐいっと伸ばす。

「ハクか?」

 静かな夜を破った声にびくりと体が揺れた。井戸の向こう、真っ暗闇に現れた影は熊のように大きかった。
「ハク、だな。よかったぁ、心配したんだぞ。他のみんなもお前を探している。早く帰ろう」
 肩に手を置き俯いていた顔を覗き込まれた。でも、俺はウルヌスの目を見返すことができない。
「……ヘスのことか? 何があったかはあいつから聞いた。幸い倒れていたヘスを見つけたのは俺だけだったし、他のやつらは何も知らない。……心配するな、早く帰ろう。いくら治安がいいピサリでも夜は危険だ」
 腕をとられ、そっと促されたが一歩も動かなかった。俺の様子にウルヌスも何も言わない。しばらく黙っていたが、俺は静かにヘスとの間に起こったことを話した。

「おれ……、ヘスに悪いことした。あんなに追い詰めて。………ウルヌス、一人で帰ってくれ。俺はどこかに消えるよ」
「何をいってるんだ。悪いのはお前じゃない、ヘスのほうだ。あいつも反省してるから、帰ったら話を聞いてやって欲しい。顔を合わせるのも嫌かもしれないが」
 つかまれた腕を揺さぶられ、少し痛かった。
「違う!! ヘスは自分たちとは違う俺の存在が怖かったんだ。それなのに自分から歩み寄ろうともしないで、ちょっかいを出してくるヘスを邪険にしてた。他のみんなに受け入れられたからって、その上に胡坐掻いてたんだ。………ヘスにあんなことまでさせて、合わす顔がないのは俺のほうだ」
 突然腕を引き寄せられ、ウルヌスの大きな体にすっぽりと包まれた。一瞬、唇を噛んだ苦しそうな顔が見えた。大きな手が優しく背中を撫でると、落ち着いたのかゆっくりと体が離れた。
 見つめてくる二つの瞳がいつになく真剣だ。
「ハク…お前は本当に……っ。誤解させたまま別れるわけにはいかない。戻ってヘスの話だけでも聞いてやって欲しい。身の振り方はそれから考えても遅くないだろう? ヘスの顔一発ぐらい殴ってやれ」
「でも俺、ヘスの顔蹴っちゃったよ。気絶までさせちゃったし」
 ウルヌスがおどけた調子で言うので、気持ちが少し軽くなった。
 確かに、今逃げ出しても心残りだ。ヘスも寝覚めが悪いに違いない。
 息を大きく吐いて、みんなの待つ広場へと脚を踏みだした。


 足元に置かれたランプが、道具部屋として使用されているテントのなかを照らしていた。
 体を折り曲げて土下座に似た姿勢をとった男が目の前に座っている。ここに入ってきた時から、やめてくれと何度いっても姿勢を崩さない。

「テス、落ち着いたか? いい加減ちゃんと顔をあげて話をしたらどうだ。謝ってばかりいてもお前の気持ちは伝わらないぞ」

 テスは最初からずっと「ごめん」を繰り返していた。それをテスとの間に座ったウルヌスがなだめている。

「俺、怒ってないんだよ。……不安だったんだろう? 得体の知れない俺が入ってきて。お前の気持ちに気づかないで…俺、逃げてばっかりいたから、こんなになるまでお前の気持ち追い詰めて」
「違う!!」
 大きく見開いたテスの瞳がランプの灯りに揺らめいた。やっとあげてくれた顔はすぐに伏せられてしまったが、眦に光るものがあった。
「なあ、テス。お前このままでいいのか? ハクに誤解されたまま自分を責めて満足か? 聞いただろう、ハクも自分を責めてるんだ。強姦されそうになったのに、お前じゃなく自分が悪かったって。…………お前それでいいのか?! 好きなやつをそんな気持ちにさせて!」
 ウルヌスの口を何度も瞬きして見ていた。

 …………今、なんていった?
 テスに俺と話し合うように説得してて、俺が誤解してるって、テスも俺も自分を責めてるって………。
 それから、それからそれから………。
 す、すすすすすきって。
 でえええええ?!
 好きなやつって俺のこと?
 いや、俺男だし……。他の誰かのこと言って…っつうか劇団員に女いないし……。どういうこと??
 驚きのあまり固まっているの俺に、エヌオットでは同性での婚姻が認められていると教えてくれた。

 やっと気持ちの整理がついたのか躊躇いがちな声を耳にして、自失していた俺も居住まいを正した。
「俺……本当にハクには酷いことしたと思ってる。嫌われて当然のことをした。ほんっとうにごめん」
 再び頭をさげたので、顔をあげさせようと口を開きかけると、力強いヘスの視線が俺をとらえた。
「でも! 俺は好きなんだ、ハクが。好きだからあんなことした、なんて自分でもすごいバカだと思う。………俺、焦ってたんだ。みんなはハクと普通に話して笑ったりしてるのに、いつまでたっても俺だけは距離が縮まらなくて、逆に怒らせることばっかで。無理やり……、あの、ヤろうとまでして、……軽蔑してるだろうけどお前を嫌いとか見た目が違うとかが理由でしたんじゃない。…お前が好きで、どうしていいかわからなくて」

 普段と違った弱々しい態度は、不謹慎にも叱られた子犬を連想させた。ヘスに犬の耳がついたなら、間違いなくぺったりと垂れ下がっているに違いない。
 笑っちゃいけないよな。一生懸命謝ってくれて、ここ告白までしてくれてんだから。

「ハク、ヘス。俺からも二人に謝らないといけない。俺はヘスがハクを好きだって知ってたんだ。ヘスの態度はあからさまだったから他のやつらも気づいてた。でも、微笑ましいと思って見てたんだ。ハクはしっかりしてるがまだ小さいし、もうすぐ元服だがヘスもまだまだ子供だ。……そうやって甘く考えていたせいで、ヘスの真剣さに気づけなかった。俺がしっかり目配りしていれば、ヘスの悩みを聞いてやれたしハクも辛い目に遭わずにすんだんだ。二人とも、本当にすまなかった」
 深く頭をさげたウルヌスを慌てて諫めた。
「やめろよ。ウルヌスが自分のせいにするのはおかしいよ。俺、全然気にしてないよ? ヘスにされたことは、そりゃびっくりしたし嫌だったけど…、俺にはヘスに嫌われてなかったってほうが重要だ。もうここに居られないかなと思ってたから、………本当に嬉しい。よかったあ」
 気持ちを吐き出すと、自然と笑みが浮かんできた。暗い表情をしていた二人が呆気にとられている。
「……おこって、ないのか?」
「うん」
「軽蔑しない?」
「まったく」
「今まで通りでいてくれるのか?」
「うーん、今までと一緒は嫌だな。これからは一緒に飯食ったり話したり、しよ? 俺はヘスと仲良くなりたい」
 ヘスは口を開けたまま固まっていたが、意識を取り戻すと何度も頭を振った。
 唇を噛んでいたが目の表情が柔らかい。やっと明るい顔をしてくれた。

「ハク、そんな簡単に許していいのか?」
 ウルヌスは依然として硬い表情を崩さない。
「簡単、かな? ヘス、すごい悩んでたのよくわかった。ずっと苦しい思いしてたんだから、もういいんだよ。真剣に謝ってくれたし、自分の気持ちも話してくれたし、それで十分だ」
 ウルヌスに笑いかけると、眉間に刻まれた皺がやっと消えた。
「ほんとにお前は子供のくせにしゃんとしてんな〜」
 大きくていかつい手が俺の髪の毛をわしゃわしゃ掻き混ぜた。
「ヘス。二度と起こらないって俺は信じてるからな。それにしても、お前はマセガキだぜ。もうすぐだっていっても元服もすんでないんだぞ。その上年端もいかないハクに手ぇ出しやがって。お前が大人になってもハクは後三年は子供だからな。無理やりでも同意でも何もすんじゃねぇぞ」
「わかってる」

「え? あれ、ちょっと待って。意味がわかんないんだけど…。元服って……手を出すって、…どういう意味?」
「ああ、知らなかったのか。エヌオットでは、十三歳になると元服って儀式をやって成人になるんだ。昔は必ず髪を伸ばして成人の証としていたらしいが、今は絶対ではなくなってる。幼少期に髪を伸ばしてはいけないのは今も同じだがな。それまでは子供で、色恋沙汰もご法度なんだ。好きだって勝手に思ってるにはいいが、恋仲になるのは駄目。結婚も成人しないとできないしな。だからヘスはマセガキなんだ。まだ子供のくせにハクを押し倒しやがって」
「ということは……。つまり、その…ヘスは今いくつなわけ?」
「十二歳。あと三ヶ月もすれば成人するけど…?」
 そういったヘスの体をあらためて見直す。

 隣に座るウルヌスほどではないが、発達した筋肉に厚みのある胸。夜になって肌寒いので腕は出していないが、俺と違って軽々と水汲みをこなす力強い腕を知っている。背も俺なんかより全然高くて………。そりゃ周りのみんなに比べれば小さいようだけど。

「信じられない…、ヘスが、ヘスが俺より年下? 二つも下? 中一? この図体で?」
「年下って…、何いってるんだ。ハクは十歳だろ?」

 実際の年齢を伝えて黙っていたことをどうにか謝ったが、俺は目の前の現実を受け止められないでいた。

 それは俺の歳を聞いた二人も同じようで…。

「……」
「……」
「…うそだ。俺は信じないぞ。この体で十四だなんて」
「ハク、面白くない冗談はやめろよ。小さなお前が俺より二つも上のはずないだろ」

 二人のやり取りを聞きながら、俺は泣きたい気持ちになった。いや、実際うるうるしてたに違いない。
 確かに昔から実年齢より下に見られてきたよ。チビだし貧弱だし頼りないよ。でも、どんなに幼くみられてもせいぜい十二歳が関の山。十四歳にもなって十歳に見られたこと、この世界にやってくるまで一度もないんだぞ!

 エヌオット人が大柄すぎるんだよおおお!!

 ハクが十四歳なわけがない、と息巻いて喋っていた二人は、押し黙って地中深く沈んでしまった俺に気がつくと、うってかわって競うように慰めてくれた。

前  戻る  次