3 遠藤くんはぬいぐるみ


 学校から二百メートルほど離れたところに駅がある。僕は自転車だけど通り道といえば通り道なので、毎日駅まで松尾と歩いて帰る。でも今日は、笹田に話があると言われているので一緒に帰るわけにはいかない。放課後になっても笹田は僕の元にこなかった。教室で友だちと話しているようだ。クラスメイトがいなくなるのを待っているんだと思う。そしてなぜか、松尾も僕の隣にいた。なんで帰らないんだろう、この人。僕の前の席に座って廊下側に体を向けている。声を落として話しかけた。
「ねぇ、なんで帰らないの」
「なんでって、お前と一緒に帰るから」
「知ってるよね。今日は笹田さんにいわれてるから一緒に帰れないよ」
「お前さ、俺の家にくる約束忘れてない?」
 僕の頭の中では、すっかりその約束が消えていた。松尾の手が僕の頭をとらえた。ぺちっと軽い音がする。
「やっぱりな。遠藤の記憶力は鳥類なみだ」
「ごめん、家に行くのはまた今度にして。きっと他の人には聞かれたくない話だよ。どこかで待つにしても、どのくらいで終わるのかわかんないしさ。松尾は待てないでしょ」
「そうだけど、なんでお前が」
「僕に聞かれても。笹田さんにしかわからないよ」
 松尾は息を吐いて体をしぼませるような仕草をして、僕の机に身をのりだした。
「お前ばっかりずるいぞ。笹田みたいなかわいい子」
「今日のはそういう話じゃないよ」
「ほんとか? 告白されても俺には内緒にしとくつもりなんじゃない?」
「告白って、笹田が俺なんかにするわけないよ」
「全くもってその通りだ。遠藤みたいな、ふにゃふにゃでなよなよした男のどこがいいんだよ。眼はたれてるし、鼻は低いし、口は締りがないし。ゴールデンレトリーバーみたいな顔のくせに、どうして女がよってくるんだ」
「酷すぎません?」
「ちょっと背が高くて、女に優しいだけじゃないか」
「ごもっともで。でも僕、もてたことないよ」
「内緒にしてたけど、お前けっこう人気高いんだよ。うちのクラスもそうだけど、他のクラスでも人気あるんだってさ。こんな顔で」
「こんなって」
 松尾ってば、内緒にしてたのね。
「遠藤の顔がすっげぇ格好良ければ、俺も友人として納得できるんだよ。ほら、一年で一番人気の三島和輝いるだろ」
 僕は首を傾けた。そんな人がいるのか。
「あいつくらい完璧な顔ならお手上げだよ。手も足も出せねぇよ。でもこれだろ。俺のほうがマシだ」
 松尾はそういい捨てて、教室を出ていった。残ったのは、いつの間にか僕と笹田だけだった。近づいてくる気配がして、僕は緊張してしまう。松尾があんなことを言ったせいだ。松尾のいた席に腰を下ろす。
「今朝はごめんね。制服濡らしちゃったよね」
「いいよ。全然気にしてない」
 僕の言葉に安堵したように、笹田の顔がほころんだ。床を見て足をぶらぶら揺らしている。足首と膝がきゅっとなっていて、太ももがほんわりしていて、きれいな足だ。こめかみから汗が一筋、ゆっくりと流れた。
「聞かないの?」
 笹田は僕を見て続けた。
「泣いてた理由」
 そういって、また足をぶらぶらさせた。女の子がこういう時は、聞いて欲しいと思っているのか、聞かれても困ると思っているのか。僕は彼女の性格を考えて、しゃべりはじめた。
「あれだけ泣くんだから、恋愛関係かなと思った。好きな人いるの?」
 笹田は小さくうなずいて、じっと床を見つめていた。
「告白したの。玉砕した」
 僕は誰にいうでもなく、うん、とつぶやいた。
「今朝ね、好きだって伝えたの。でも、ごめんって。向こうには彼女がいるのよ。私、知ってて告白したの。どうかしてるでしょ」
 横顔で笑っていたけど、眼が泣いていた時と同じだった。明るい教室にいるのに、どこかほの暗くて、深い深い井戸の底をじっと眺めているようだった。
「一回だけ二人で歩いてるところ、見たことあるの。付き合ってるって噂は聞いてたけど、実際目にするとすごく辛くてね。女の子を見る目がすっごく優しくって、私泣いたよ。悔しくてたまらなかった。なんであの人は私じゃないあの女の子を、あんな目で見るんだろうって。あの視線の先には私がいたいって思った」
 頬を上げたが笑っているようには見えない。笹田の笑顔はむなしかった。
「そういうの、よくないよ。我慢するのって。泣きたいと思った時に泣かないと、笹田さんかわいいんだからさ。我慢してる顔、かわいくないよ」
 僕を見上げた笹田の目が次第に震えだした。まつげにかかって涙がぽろっとこぼれると、次々に涙が転がり落ちた。
「遠藤くん、なんでそういうこというの。今朝だって遠藤くんの前で泣いちゃったし、もう泣かないって決めてたのに」
 僕は責任を取るために、机越しに彼女の体を包んだ。
「僕だからいいじゃない。ほら、でっかいぬいぐるみとか、そういうんだと思って泣いちゃえばいいよ。泣いて全部出したらすっきりするよ。そしたら笹田さんもっとかわいくなると思うよ」
 馬鹿とかいろいろいいながらも、僕の胸に頭をくっつけてきた。しばらく、くだらない話をした。あんまりくだらないので、笹田も泣きながら馬鹿とかなんとかいっていた。最後にさよならと言って笑った顔は、目は充血してるし鼻は赤いしまぶたは腫れてるしで散々だったけど、さっぱりしていい顔だった。

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