最悪の彼氏 2 後編


 早朝の教室で俺はそっと机の中に手を入れ、予想していた物の感触を確認した。まだ人の疎らな教室内を見回して、素早くカバンの中にそれを移した。
「はああ」
 中身を絞りだすような深い深いため息をつきながら机に突っ伏した。勢いよく倒れたせいで額がごんといい音を立てたが、そんなこと気にもならないくらい落ち込んでいた。自分のバカさ加減に、偽善者っぷりに。どうにかして昨日の放課後に戻りたいと、何度思ったことか。でもどうにもならない。過ぎた時間は戻らないし、口をついた言葉は戻ってこない。
 自暴自棄になったせいか、無意識のうちに額を机に打ち付けていた。
「おい、大丈夫か? 何があったか知らんけど、朝っぱらから教室で自傷行為はよせ。みんな気味悪がって遠巻きに見てるぞ」
 顔をあげると宮本が顔をしかめて立っていた。
「おっはよー…って、どしたの? やぎっち昨日より更に下降気味?」
 後からやってきた村部も俺を見て心配してくれる。でも俺には返す言葉はなく、虚しいため息を一つ吐くだけだ。
「今朝は久しぶりにハイテンションのやぎっちに会えると思ってたのに、昨日のあれって何だったの?」
 続けて村部は俺の耳に「告白じゃなかったわけ?」と小さく付け足した。不思議そうな顔をした村部をじっと見上げて、ごちんと机にダイブした。
「ありゃりゃ、違ったのか…」
 心配してくれる二人には悪いけど、何があったか説明する気力がまだない。

 昨日の放課後見知らぬ女子に連れられて、人気のない特別教室に入った。遠くに聞こえる下校する生徒たちの声や部活中の威勢のいい掛け声が、二人っきりの教室に落ちる沈黙に重く圧し掛かる。何か喋りたいのは山々だったけど、呼び出してきたのは相手だし用事があるはずだからそれまで大人しくしていようと静けさに耐えていた。閉めきった教室の暑さに我慢できなくなって、一つだけでも開けようと窓に向かおうとした時、やっと口を開いた女子から出たのは不吉な質問だった。
「八木くんて、阿久津くんと仲いいんだよね?」
 思いがけず投げかけられ、意味のない言葉を吐き出しながらこれからの展開を考えた。妙案を思いつく暇もなく、畳み掛けるように彼女が声を発する。
「最近、一緒に帰ってるのよく見かけるんだ」
 体勢を整える前に第二の攻撃が鋭く胸を刺した。速まりだした鼓動が邪魔をして、余計に話すことができなくなる。決定打をもらう前に何か言って止めないと。俺が空気を吸い込んで声を発するより、相手の行動が早かった。
「阿久津くんに話があるから、明日の放課後に時間もらえないか聞いてくれないかな」
 俺は空気を吐き出すこともできず、口をパクパクと動かした。
「私、阿久津くんと話したことないからいきなり直接は話しかけ辛くって」
 見知らぬ女子は目を伏せてはにかんだ笑みを浮かべた。俺だってあなたと喋ったことなかったと思いますけど、という突っこみは腹の中で消化する。どうすればいいのか途方にくれていると、小首を傾げる彼女と目が合った。何も喋らない俺の返事を待っているんだ。
「あの、委員長は明日塾だから…」
「大丈夫、すぐすむから」
「いや、でも…早く帰りたいみたいだから放課後は」
「じゃあ、昼休みとか?」
「ひるやすみ…は、ちょっと。…ほら、読書の時間だし」
 昼休みは委員長と過ごせる俺の安らぎの時間だから、絶対渡せなかった。でも、次々否定された彼女は困り顔だ。
「委員長って自分の時間大事にしてるから、邪魔すると不機嫌になるんだよ。だから、その……あーっと、てがみとかは?」
 くるんとカールしたまつ毛を上下させて「手紙?」と繰り返した。彼女は可愛らしく唸りながらしばらく考え込むとにっこり笑った。
「手紙いいかも。メールばっかりで最近滅多にもらわないし、阿久津くんも新鮮に思ってくれるかもしれないよね」
 両手で拳を作って気合を入れると、もう用はないとばかりに彼女は俺に背を向けた。急展開についていけずぽかんと突っ立っていた俺は、彼女の背中に声を掛けた。どうしても聞いておかなければいけないことがあった。
「あの」
「そうだ。明日八木くんの机に入れておくから、阿久津くんに渡してね?」
 彼女の声に俺の弱弱しい声は掻き消された。拒否できるはずもなく、流れで頷いた。俺の席の位置をしっかり確認して、今度こそ用はないと背中を見せた。
「ちょ、ちょっと待って。委員長に何の用があるの?」
 振り向いた彼女は一瞬きょとんと目をみはって、ふふっと笑うと首をすくめた。
「そんなの…わかるでしょ? 阿久津くんには言わないでね」
 顎を引いて上目遣いに笑う彼女は無邪気でとても可愛らしかった。
 最後に、協力してくれてありがとうと言って彼女は去った。

 机の横に掛けてあるカバンを見る度に渡すときを考えて気が滅入る。薄っぺらな手紙だけど、委員長への気持ちは溢れんばかりに込められているんだろう。彼女の気持ちにあてられそうで、カバンに触るのさえ憚られた。貴重な昼休みの時間も一方的に課せられた重大任務が頭を占めていて、委員長との会話を楽しむこともできなかった。
 俺は一日中、あの名前も知らない女子から託された手紙をいつ委員長に渡そうかと考えていた。本心を言えば渡したくない、出来ることならあの子に返したい、あんたが渡すのは別にいいけど俺の見てないところで勝手にやってくれって言いたい。でも委員長とあの子が二人で会ってたなんて知ったら、それはそれで許せない。
 それに委員長の恋人である俺が、他人が書いたラブレターを恋人に渡すってどうなんだ。付き合ってる者として非常識なんじゃないかな。もしかしたら、委員長怒るかも。…ちょっと怒られたい。怒るってことは俺を恋人として認めてくれてるって意味にもとれる。俺は恋人だし、他に恋人はいないって委員長の口から聞いてるけど、態度でしめしてもらった経験はない。告白したのは俺からだったけど、少しは独占欲とか執着心とか持ってくれてるんだろうか。
 椅子の背を誰かの制服が塞いだ。考え事をしていたので見るでもなく前の席に視線が固まっていた。相変わらず椅子の背が隠されているので制服を辿って顔をあげた。
「い、いんちょ」
「行くよ」
 目も口も大きく開けた俺に気にすることなく、委員長はするっと視線を外して戸口に足を向けた。

 学校で渡すのは不味いだろうと、駅までの道中に何気無さを装ってさらっとカバンから取り出そうと思っていたのに、俺のカバンは背負うタイプ。歩きながら突然カバンを背中からおろして中から手紙を取り出すなんてハードルが高すぎた。それなら次は電車だ、と座席に座って胸にカバンを抱えればスムーズに行くと思っていたのに、満員電車ではないものの座れない程度に混んでいてまたもや撃沈。
 ついにやってきた委員長の部屋で、俺はいまだに誰かさんの手紙入りカバンを膝に乗っけて座っている。なんだか委員長からの視線が痛い気もするけど、とにかく早く渡してしまわないとどうにもならない。手紙のせいで今日は一日中純粋に委員長のことを考えられなかった。あの子の呪縛から解放されて、委員長と二人っきりの時間を満喫したい。
 カバンのファスナーに手をかけると「どうしたの」と苛立ちがわずかに滲んだ声がした。ベッドに座った委員長が気だるそうな眼差しで俺を見下ろす。
「あ、あの」
「気もそぞろっていうか、いつになく散漫だね」
 その後に「したくないの」と言われて、大変なことを忘れていると気づいた。俺は慌ててカバンの奥に忍ばせていたモノを制服のお腹のところに隠した。
「ごごごめん、忘れてたから急いで準備してくる。トイレ借りるね」
 早口に捲くし立てると、顔を見られないように俯いたまま部屋を飛び出した。
 何たる失態。ああ、いつも失敗してるようなもんか。でも委員長とエッチするようになって準備を忘れたことはなかったのに。
「委員長、待たせてごめん……あ」
 トイレで一仕事終えてすぐさま戻ると、委員長は手にした用紙を真剣な面持ちで読んでいた。綺麗だけど男らしい厚い手が持っているのは淡いピンク色をした紙。委員長の目の前にあるローテーブルには同じ色をした封筒が口を開いて置かれてある。俺のカバンはファスナー全開でローテーブルの手前に放ってあった。気が動転してすっかり閉めるのを忘れてた。きっと委員長はぱっくり開いたカバンの中に、男の持ち物にしては随分ファンシーなカラーをしたあれに気づいてしまったんだろう。学校では確認してなかったけど、テーブルの上にある封筒には女の子らしい小さな字で『阿久津くんへ』と宛名書きしてある。もしかしたら、そこにも気づいたのかもしれない。
「八木くん、これは?」
 摘まんだ便箋がぺらぺらと音を立てた。ゆっくりと視線をあげた委員長の目はいつもの眩しそうに細められたものではなく、弧を描く口元に反して標的を射抜くほど力強い。普通の怒った顔より断然怖い。委員長の怒った顔は見たことないけど、…もしかしてこれが怒った顔か。
 しばらく身動きがとれなかったが、委員長の表情が全く変わらず何も発しないのでやっと自分に何が求められているのかわかった。自分のカバンにこの手紙を入れるまでの経緯をつっかえながら説明する。
「―――いつ渡そうかと、ずっと思ってて、それで」
「それで今日はぼうっとしてたんだ」
 真黒な二つの瞳がベッドの上からキロリと俺を射る。フローリングに何故か正座している俺は床を見つめてハイと小さく答えた。小学生の頃に教えられた通り、手は膝の上でグーだ。
 目が乾いて必要以上に瞬きしてしまう。自分の呼吸音が耳につく。心なしか呼吸が速くなっている気がする。気になり始めると心臓の音も耳障りになって、何もしていない状態で自分が立てる音がこれほど煩かったのかと新たな発見だ。
 前髪とフローリングと膝だけだった視界の端にふっと何かがよぎり、体がびくりと反応する。委員長の息づかいで笑ったのがわかる。手を伸ばした先には封筒と便箋があった。封筒に便箋を戻すと、勉強机にのせてあった自分のカバンに封筒を入れた。じっと見つめていると、委員長の目がかすかに綻んだ。
「僕から本人に返すよ」
 どういうことだろうと不思議に思っていると、それが顔に出たみたいだ。
「君にお使いを頼むのは不安だからね」
 頼まれてた手紙を渡せなかった俺としては、その通りだと俯いた。
「僕から直接断っておくよ」
 ぱっと顔をあげると、長い足を組んで椅子に座っている委員長は、少し眩しそうないつもの表情だ。知らずに強張っていた肩の力がすっと抜ける。委員長は、でもねと独り言のように呟いた。
「八木くん、どういうつもり?」
「…へ?」
「他人が自分の恋人に告白する手伝いをしたんだよね、君は。恋人としての常識を逸脱してるよ」
 口をほとんど動かさずに「理解できない」と漏らした。瞳は三日月のように緩やかな弧を描いて、その奥にある漆黒をはっきりと見せてくれない。
 俺はそこに映ってる?
「いいんちょ…」
「僕が手紙の子と付き合ってたらどうしたの? それとも、僕と別れるいい機会だと思って協力した、とか?」
「ちが…違う。本当は断りたかった。委員長には恋人いるって、俺と付き合ってるって言いたかったけど……言えないから。それに、俺がここで断って直接委員長のところに行かれたらって考えたら…」
「考えたら?」
「俺から渡すほうがましだと思った」
「その子が直接会って僕に告白するのが嫌だった?」
「委員長が、もしオッケーしたら…おれ」
 堪え切れなくて委員長の視線から逃げた。
 俺たちは付き合ってるけど、二人の気持ちは同じじゃない。付き合って一ヶ月くらいたった今でも、どうしてあの時俺の気持ちを受け取ってくれたのかわからない。気まぐれか、同性という興味か、ただの暇つぶし―――あやふやな存在の俺が、いつまで委員長をつなぎ止めておける。面倒くさいやつだと思われたら、俺への興味がなくなったら、可愛い子から告白されたら、今の関係が終わってしまう。
 ため息が聞こえた。目がじわっと熱くなった。フローリングの床が滲んだ。きしっと椅子が鳴って委員長の膝が床をついた。顔があげられない。
「しょうがないな」
 暖かい声だった。呆れてるけど突き放せない、胸をくすぐる甘い声。何も考えずに視線を向けた。自分が泣く寸前の酷い顔だとかすっかり抜け落ちてて、どんな顔をして言ったのか無性に見たかった。
 委員長はいつもと同じようでいて全然違った。目も口もさっきと変わらず柔らかくカーブしている。でもいつもより力が入ってない自然な感じ。真黒な目でちゃんと俺を見てるのがわかった。唐突に、この人が好きだという気持ちが溢れた。
「すき。委員長のことがすごく好き。…なのに、手紙預かってきてごめん。嫌だったけど、断りきれなくて。委員長に告白されるのが嫌だったんだ。委員長がどっかいっちゃったらって思うと手紙も渡しづらくて、このまま勝手に断ろうかって」
 頭の中にあった考えを全て言葉にした。順序とか脈絡とかむちゃくちゃで、手紙を預かって悩んだときの気持ちとごめんと好き、が主な内容だった。俺が同じことを繰り返し話しても委員長は微笑んだままじっと聞いてくれた。何度目かの「好き」に知ってると答えてくれた。大きな手がそっと俺の頭に触れる。
「いいんちょ…」
 髪をすべり、米神から頬、顎のラインを指先がたどる。顎の先までくると中指と薬指で優しく押し上げられた。委員長が、とても近い。
「でも……お仕置き、しないと…ね」
「え」

 いつも通り服を脱いでベッドに腰掛けた。握った手を口に当てて委員長の様子を窺った。俺の正面で椅子に座って、じっと俺の動きを見ている。下唇を噛んで股間に手を伸ばした。力のない自分のものを上下に扱く。見ていられなくて横を向いて目を閉じた。しばらく動かすと少し硬くなってきた。でも興奮しているわけじゃなくて、ただの反応。こんなので最後までいけるんだろうか。
「のらないみたいだね」
 足を組んだ委員長と目があった。すぐにそらせたけど、俺の下半身は素直だった。委員長を意識した途端硬さが増した。
「片足をベッドに乗せて、僕によく見えるようにして。手は止めないこと」
 言われた通りにした。手のひらが熱くなってきた。呼吸もあがってくる。
「また僕に告白したい子から相談を受けたらどうする?」
「こ、断る」
「なんて」
「俺は協力できないって」
「違うよ。付き合ってる人がいるから駄目って言うんだ」
 付き合ってる人。
「言ってみて」
「委員長には付き合ってる人がいるから、駄目」
「覚えておくんだよ。次からはきっぱり断ってね」
 次第に快感が占領していく頭を縦にふった。
「濡れてきたね」
 見ると先端にぷくっと液体が盛りあがっていた。普段より赤くなった性器が両手の中で立ち上がっている。気持ちいいかと聞かれて正直にうなずいた。
「さっきから扱いてるだけだけど、八木くんはどこが好き?」
「ん、くびれのとこ」
 誘導されるように、くびれの部分に触れた。親指と人差し指でつくった輪でくびれを擦るように扱いていると、先走りが垂れてきた。
「先っぽは?」
 濡れて光る尖端で小さな口が開いてる。
「いじらないの?」
 その声が近かった。ゆっくりとした動作で隣に腰をおろす。ベッドのスプリングが軋む微かな音。剥きだしの肩に委員長の髪が触れた。つられて下を見ると、委員長の手が俺の股間に伸ばされているところだった。咄嗟にその手をつかんでいた。
「どうして? 手伝ってあげるよ」
 湿った息が耳をかすめ、痺れるような疼きが首筋の辺りを走った。自分の息が熱くて喘いでいるみたいたけど、どうでもよかった。
「ダメ。…そこ、イっちゃう」
「イっていいんだよ。イクとこ見せてくれるんでしょ」
 俺の後ろに手をついて重なるように座った委員長が時おり触れる。
「でも」
「この格好でずっといるつもり? それはそれで楽しいだろうけど、…今度ね。今日はイクとこ見せて」
 再び伸びてきた手を止める気はなかった。
「あ」
 委員長の手が熱い。尖端に開いた小さな穴の周りをもどかしいほど優しく、指の腹で円をかく。
「休んじゃ駄目。僕は手伝ってあげるだけだからね。自分でするんだよ」

「気持ちいい?」
 カクカクと首を上下させた。
「僕の目を見て」
 黒い瞳がすぐそばにあった。
「いいんちょ」
 もう一度聞かれたので、委員長の目を見ながら気持ちいいと言った。
「は…あ、も」
「僕のこと、好き?」
 俺は何度も好きとつぶやきながら絶頂を迎えた。

 委員長が手早く後始末をしてベッドサイドのゴミ箱に丸めたティッシュを捨てた。俺が気づかないうちに用意して、出したものを受けてくれたんだ。今更ながら、恥ずかしくなって委員長の背中も見れなくなった。急いで自分の服を整えた。
「委員長の恋人って、俺…だよね」
 戻ってきた委員長がベッドに座った。手をついて腰を移動させ、一気に隙間がなくなった。腿から肩までぴったり密着している。
「他に誰かいる?」
 囁きがくすぐったくて、すぐに耳を押さえた。軽く睨むと鼻同士がくっ付くほどの距離。委員長はやっぱり笑っていて、普段のよりこっちの方が好きだなと思っていると、唇にキスされた。

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