最悪の彼氏 2 前編


 委員長は、委員長なだけあって頭がいい。人当たりもいいし面倒見もいいので、二年のときは副生徒会長をしていた。頭も性格もいいから人望も厚いんだ。そのうえ顔も結構いい。真黒な髪に合わせたような黒いフレームのメガネが詰襟の学生服と相まってストイックな雰囲気をかもし出してるけど、いつもにこにこしているから近寄りがたいわけでもない。でも休み時間に自分の席で一人読書や勉強に没頭する姿は、誰も近づけさせないオーラが出ているみたいで、本当に誰も委員長に声を掛けない。本をパタンと閉じると堰を切ったようにみんなが集まってくる。別に、昔委員長が本を読んでるときに声掛けて怒られたとかいう話は聞かないのに、みんな示し合わせたかのように邪魔しないんだ。
 今も読書に集中している。休み時間のうるさい教室の中で、委員長の耳にはみんなの声が届いていないようだ。左肘をついて軽く顎をのせるいつものスタイル。さらっとした髪が形のいい耳を少し隠している。
 委員長の席は廊下側の一番前。戸口にもたれた先生がチラッとノートを覗いたりする最悪の席だ。でも、委員長だから何の問題もないだろうな。そして俺は教室の真ん中の席。廊下側でも窓側でもなく、教卓から近くも遠くもない席。どっちつかずで一番微妙、なんだけど委員長を斜め後ろからじっくり観察できる素晴らしい席でもある。ある程度離れてるから気兼ねなく見えるし、委員長と視線がかち合う心配もない。

「なあ、八木はどうする?」
「は…え?」
 見ると隣の席に陣取った宮本がこっちを向いていた。
「八木ちょん聞いてねぇな。…今日さ、一緒にカラオケでも行かねって話」
「今日は、無理…」
 ちらっと委員長に視線を送ると読書は区切りのいいところで止めたらしく、いつの間にかやってきた誰かと話をしている。俺は宮本に視線を戻した。
「八木って最近……、委員長と仲良くなった?」
「へ? なんで?」
 右斜め前がすごく気になるけど、なんとか視線を動かさずに答えた。だって俺と委員長の仲は秘密だ。これは恋人にしてもらうときに委員長が出した条件の一つ。
「なんでって、弁当一緒に食ってるだろ?」
「ああ、うん」
「委員長が誰かと一緒に行動するのあんま見たことないからさ。いつの間に仲良くなったのかなぁと思って」
「すごく仲いいわけじゃないよ。ただ、一緒にご飯食べてもいいって言ってくれたから食べてるだけで」
「ふうん……、八木が頼み込んで委員長が渋々折れたって感じか…」
「しぶしぶって」
 ああ…なんでわかるんだろう。委員長が俺を恋人にしてくれたのって、まさに渋々って感じだったもんな。
「ま…八木ちょんも気いつけろよ」
 そう言って奪っていた席から立ち上がった。ちょうど授業開始のチャイムが鳴る。何を指しているのかわからなくて、首を傾げて宮本を見上げた。
「委員長の隣を狙ってるヤツはいっぱいいるってこと」


 人であふれた廊下を流れるように淀みなく進んでいく背中。俺は五歩くらい離れた後ろから、その背中を目指していた。
「阿久津先輩」
 前方で後輩らしき女の子の集団が、委員長を呼んだ。委員長が気づくと、女の子たちは「きゃー」と高い声をあげておしくら饅頭状態。立ち止まりはしなかったけど、軽く会釈を返したようだ。また高い悲鳴ががやがやとうるさい廊下に響いた。俺はその女の子たちを横目でキッと睨みながら、委員長のあとを追った。

「シリコンがね、体の中で裂けちゃったんだって。体の中に何か入れるのって、いくら綺麗になるためでも怖いよね」
 弁当箱の包みを隣に置いて、委員長は食後の読書タイム。俺はお弁当を食べながら昨日のテレビの話をしていた。
「お尻の調子はどう?」
 読書に夢中で話なんか聞いてないと思っていたから、急に話をふられてびっくりした。顔は本に向けられたままだけど俺の体を心配してくれるなんて、顔がにやけてしまう。
「え……あ、……へいき」
 初めていった委員長の家で、初めてのエッチをしたのは一昨日。エッチの直後、入り口はひりひりするし、奥はまだ入ってるような違和感があるし、家までの道のりがとてつもなく長く感じた。一晩寝ると違和感は消えてて、布が擦れるとちょっとイタ痒いかなという程度だった。
「そう。あれはちゃんと買って持ってきた?」
「うん」
「じゃあ、ホームルームの前に準備しておいて」
 パタンと本を閉じベンチから立ち上がろうとするので、俺は急いで弁当箱の蓋を閉じた。
「………わかった。……あの、今日塾は?」
 弁当箱を袋にねじ込みながら委員長の背中を見た。
「あるよ」



 階下から物音が聞こえる。薄暗くなった部屋のベッドで俺は制服のまま寝ていた。
 母さん帰ってきてたんだ。知らないうちに寝ちゃったんだな。
 のろのろと体を起こしベッドに座った。普通に座るとアレなんで、片方のお尻に体重をのせもう片方は浮かせた。女の子がよくする横座りだ。慣れない座り方に落ち着かない。俺はため息をついた。

 今日、委員長の家へ行った。二回目のお宅訪問は初めてのときよりも緊張した。委員長の家で何をするのかもうわかってるから、委員長の家までの道中も以前のようには話せなかった。
 初めての時よりは痛くなかったような気がするけど、やっぱり気持ちのいいものじゃない。女の子と違って、本来そういう目的でつくられた所じゃないから当然だ。俺の中にいるのが、俺の腰をつかむ手が、俺を揺さぶるのが大好きな委員長だと思えば我慢できた。触れられれば体は熱くなっていくけど、心の中は大きな穴がぽっかり開いたようにすうすうして寒くて、泣きたくなった。
 終わって、委員長の次にシャワーを貸してもらった。塾に行くついでに駅まで一緒に行こうって誘ってくれたけど、俺はそれを断って先に家を出た。折角委員長が誘ってくれたのに、もう少し一緒にいられるチャンスだったのに、俺はあの時一人になりたかった。委員長のいない空間に行きたかった。だってあのまま一緒にいたら…俺、自分を嫌いになりそうな気がした。

「母さん、今日ご飯いらね」
「どうしたの? 具合でも悪い?」
 キッチンで夕飯の支度をしていた母さんが戸口にいる俺に近づいてくる。ちょっと声を掛けるつもりが、つかまってしまった。
「顔色悪いわよ。……お昼ご飯もあんまり食べてないみたいだし。もしかして…、ダイエット?」
 的外れな指摘に少し笑ってその場を誤魔化した。「しっかり食べないとおっきくならないわよお!」という言葉を背中で聞きながら自分の部屋へと退散した。
 閉めたドアに体を預けて目を閉じる。
 大丈夫。俺はちゃんと笑えてる。明日もいつも通り委員長に会える。平気だ。委員長は俺を好きじゃないかもしれない。きっと成り行きとか同情とかで付き合ってくれた。でも、だからって嫌いなわけじゃない。嫌いだったら男の俺とあんなことできない。少なからず好意を持ってくれてるはずだ。
 嫌われてない、大丈夫。ちょっとくらいは好いてくれてる、それだけでいい。どんなことされたって委員長を嫌いになれるわけない。俺は何があっても委員長が好き。委員長が俺に何かするのは嫌いじゃないって証拠だから、何をされても嬉しいんだ。
 頭の中で何度も考えて同じ答えが出るのに、どうしてこんなに胸が痛いんだろう。


 思いっきり口を開けて欠伸をする。滲んだ視界を手の甲で拭った。昨日は委員長のことが頭から離れなくて、同じことをぐるぐる考えて考えて気づいたら寝てた。目が覚めるのも早くって、今朝はいつもより早く登校してしまった。廊下にいる生徒もまばらだ。あと数歩で自分の教室のドアにたどり着く、というところで足が止まった。
「委員長は自分ではっきりいいそうじゃね?」
「でも押されてるのかもよ? それか拒否してるのに気づいてないとか」
「ああ、それはあるかもな。八木って鈍そうだから」
「阿久津くんいっつも迷惑そうっていうか、困ってるぽいしさ。一方的に八木くんがしゃべってるでしょう?」
「まあなあ、でも委員長が饒舌にしゃべって冗談いうとか、ないだろ?」
「そりゃ確かに、想像できないけど。でもやっぱり納得できないな。だって、阿久津くんと八木くんなんて全然つり合わないでしょ」
 くるりと教室に背を向けて廊下を歩きだした。女子の意見に賛同するクラスメイトの声が聞こえた。

 玄関を避け二階の渡り廊下から特別教室棟へ足を向けた。わずかに引き戸が開いていた書道室に入った。たぶんカギのかけ忘れだろう。ピタリとドアを閉めて、奥の壁際の椅子に座る。
 さっき耳にしたクラスメイトの会話が頭の中でよみがえった。「迷惑そう」「困ってる」「つり合わない」―――どれもその通りだと思う。周囲からそういう目で見られてるってわかってた。だって俺自身も思うもん。委員長の隣には頭がよくて性格もいい大人な人が似合う。要領も頭も悪くて吹けば飛ぶような中身の俺とは、同じ教室だというのに別世界の住人のような歴然とした差がある。
 でも、俺は委員長の隣に居てもいいんだ。だって本人が許してくれた。委員長の口から「一緒に居たくない」って言われるまでは、誰に何と言われようが関係ない。終わりが来るのはわかっているけど、それまでは俺の場所だ。
 予鈴のチャイムが止まっていた教室の空気を震わせて、俺は慌てて自分の教室へと走った。


「ね、委員長、今日は一緒に帰っちゃ駄目かな?」
「今日は駄目だね。塾がない日だから家でゆっくりしたいんだ」
 視線は活字に向けられている。
「そっか…そうだよね」
 つまんでいたストローでイチゴオレをちゅっと吸った。
 委員長と一緒に帰れるのは一週間のうち三日、月水金。それは塾がある曜日で、委員長は俺を連れて家に帰り、家を出る時間までの一時間くらいを俺と過ごす。過ごすといってもお喋りするわけでもなく、勉強を見てもらうわけでもなく、することは毎回同じで…あれだ。
 不満があるってわけじゃない。付き合ってるのは俺なんだし、そういうことするのも当然だと思ってる。初めてのとき委員長が、これで俺の気持ちを試すって言ってた。家に行く度に「俺の気持ちが委員長へ伝わるんだ」って思うと毎回緊張する。何度か経験して大分慣れてきたけど、やっぱりあれは気持ちのいいもんじゃない。でも委員長は気持ちいいみたいだからいいんだ。それに委員長の部屋でああいうことするのは、自分という存在を委員長の内側に入れてもらってる気がする。クラスメイトたちが知らない一面を見られる特別感があって嬉しい。委員長の恋人なんだって実感できる。
「来週から雨らしいよ、そろそろ梅雨だ」
 パタンと読んでいた本を閉じた。腰を上げた委員長に倣って、食べていたパンを袋の中に押し込んだ。

 帰りのホームルームが終わると委員長は颯爽と教室を出て行った。ほとんどの生徒はだらだらと帰り支度をしながら喋っているのに、塾がない日でものんびり帰るなんてことはない。俺も一緒に帰る日なら急いで支度するけど、今日は塾がない日だし昼休みに断られたし、実はまだ引きずっててぼうっとしながら席を立った。
「―――おい、八木」
 痛いくらい肩を叩かれて、相手を見ると村部が眉を寄せて俺を見ていた。
「なに?」
「やぎっちぼやっとし過ぎだぞ」
 友だちから心配されるほどぼうっとしてたのかな、と思いながらごめんと返した。
「もう、だから……。さっきから呼んでるぞ、ほら」
 村部が視線で促す先には、戸口からこちらを窺う一人の女子が俺たちのやり取りを見ていた。向こうが気づいて軽く会釈をされたが、そういえばあんな子居たかなという程度で名前さえ覚えがない。首を捻っていると村部に背中を押された。
「早く行ってやれよ」
 訳がわからず村部を見上げると、報告は明日詳しく聞かせてねと内緒話のように囁かれた。にやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべて手を振る村部をちろちろ振り返りながら、戸口にたたずむ女の子の元へ近づいた。

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