最悪の彼氏 前編


「付き合ってください!」

「…なんで?」
「………」

 告白のイメトレなんて数え切れないくらいしてきた。ずっと好きだった人に告白しようと思い立って、早一ヶ月。毎晩ベッドの中で告白する自分を想像した。

 好きな人がいるって言われたら、それが誰なのか聞きたいのをぐっと堪えて素直に受け入れよう。
 付き合ってる人がいるって言われたら(俺の調査ではそんな事実は今のところないんだけど)がんばって諦める。でも、もしかしたら男の俺に告白されてとっさに恋人がいるって嘘をつくかもしれない。そしたら相手が本当にいるのか、あとから調べればいいか。いや、俺を気持ち悪がってついた嘘なら俺に望みなんかない。恋人がいたら俺の入る余地はないし、恋人がいないのにいるって嘘をついてもやっぱり俺に希望はない。
 好きな人も付き合ってる人もいないけど俺とは無理だって言われたら、顔も合わせられないくらいどん底に凹んでしまう。おかしな態度を取らないように、ちゃんとわかりましたって言おう。
 もし…、万に一つでもオッケーの返事がもらえたら…。いやいや、そんなこと絶対ありえない。期待しないほうがいいよな。どうせふられちゃうんだから、でも……。

 こんな考えを毎晩してた。のに、予想してなかった返答が!

 ど、どうしよう。なんでって、なんでお前なんかと付き合わなきゃいけないのってこと? それとも、なんで俺に告白してんのってこと?
 …わかんない。早く、なんか言わないと変に思われる。そうだ! 最初に言わなきゃいけないこと忘れてた。

「す、好きだから………、付き合ってくださぃ」
 ぎゅっと目を硬く瞑って俯いた。
 濁りのない白と黒のコントラストがはっきりとした瞳は小さな子供みたいに綺麗で大好きだけど、こんな間近で見れるチャンス滅多にないけど、ちょっとつり気味のまなじりが鋭くてじっと見つめられたら呼吸困難でも起こしてしまいそう。ただでさえ、マラソンでも走った後みたいに心臓がどくどくとうるさいのに、顔なんて見たら絶対に俺まともに立ってられない。

 しばらくたっても、返事はなかった。というか、教室の中に俺以外人はいるのかと思うほど静かだ。もしかして、俺の告白に呆れて物音も立てずに教室から逃げ出した、とか?
 俯いたままに、こっそり片目を開けると委員長の上履きが見えた。大丈夫だ。ちゃんといる。
「……」
 どうして何も言ってくれないんだろう。
 気になって、恐る恐る視線を上げていくと…。

「なに?」
 低くて小さいのによく響く声。
 いつも眩しそうに細めて笑っている目が、今は何を思っているのか全然読めない無表情。慌てて首を振ってまた下を向いた。いやいや、なに首ふってんだよ俺。返事聞かなきゃいけないだろう。
「あ、あああの……へんじ…」
「ああ……ん〜、面倒くさい」
 予想もしなかった言葉に瞬時に顔をあげてしまった。委員長はさらさらした黒髪を鬱陶しげにかきあげる。
「へ?」
「もう用は済んだよね」
 カバンを手にとって机の間をするすると出入り口に向かって進む。呆気に取られていた俺は、ようやく開いていた口を一旦閉じた。
「ちょっと待って」
 呼びかけるとぴたっと歩みを止めてくれたけど、振り返ってはくれない。早くしろってことだな。
「あの…、面倒くさいって…どういう」
「付き合うのが面倒なんだよ。僕は他人に合わせるのが苦手なんだ。それに今年は受験で忙しいし、恋人はつくらないことに決めてるんだ」
「じゃ、じゃあ。俺が男だとか気持ち悪いとかは…」
「別に」
 さらっと返した言葉に、心がふわっと軽くなった。
 男のくせに男に告白して気持ち悪いって思われるのが一番嫌だった。次の日から無視されたり、近寄らないように距離を置かれたりしたらどうしようと思ってた。最悪の結果にはならなくてすみそうだ。でも、やっぱり………。

「あのっこういうんじゃ駄目かな?」

 ちょこっとでも差し込んだ光に、俺は手を伸ばしていた。




 昼の休み時間。俺は今日からクラスの委員長と一緒にご飯を食べるんだ。
 委員長はいつも一人でお弁当を食べている。友達がいないとかいうわけじゃなく、本を読んだりノートを出して勉強したりしていることが多いからだ。みんな遠慮して誘わないというわけ。
 でも俺は、昨日の放課後から夢にまで見た委員長の―――
「八木くん静かにね」
 今日もなんだか難しそうなぶ厚い本を読んでいる委員長は、本から顔をあげずにそう言った。
「うん」
 誰も座っていない委員長の前の席に腰をおろす。今日は母さんがお弁当を作ってくれなかったので、登校途中によったパン屋で買ったパンが昼ご飯。ビニル袋から大好きなミルクフランスと、これまた大好きなツナサンド、それからたまごドーナツを取り出した。自販機で買ってきたパックのイチゴオレにストローをさして、委員長の机に置いた三つの袋を眺めた。
 どうしよっかな。ここのツナサンド、トマトとレタスが入っててドレッシングが絶妙で美味いんだよなぁ。唯一のおかずパンだし、これが最初かな。でも、中の甘いクリームとフランスパンの硬さが絶妙な組み合わせのミルクフランスも捨てがたい。甘いものから食って食欲を刺激するってのもありだよなぁ。でもでも、何もかかってないシンプルイズベストのたまごドーナツもいい。

「どれにしようかなあ」
 腕組みして考えていた俺は、ふと思いついて前を見た。委員長はお弁当の隣に本を置いて、右手に箸を左手はページをめくりながら器用に食事と読書を両立していた。お弁当の中身は半分以上が消えている。
「委員長早いね、食べるの。俺なんかまだ食べ始めてもないのに。おれ、優柔不断だからどれから食べようかいっつも」
「私語厳禁」
 四字熟語のような単語で話を遮られて、俺はぽかんと委員長を見た。相変わらず視線は本に集中している。俺は小さくごめんといって、パンの袋を破った。確認もせずに偶然取ったのはミルクフランスでクリームの甘さにほっとしたけど、フランスパンに水分を取られてイチゴオレで飲みおくった。


 昨日の告白で俺は見事、委員長の恋人になった。付き合うのが面倒くさいし勉強で忙しいから無理だと断られたけど、俺自身を受け入れられないというわけじゃないと知って食い下がったんだ。一年のときからずっと好きで、三年で初めて同じクラスになって卒業する前に思いを伝えようと決心した。簡単に希望を捨てるわけにはいかなかった。
 それで、付き合うのに乗り気ではない委員長にいくつかの提案をした。

 他人に合わせるのが苦手だという委員長に、許可なく近づかないし一緒にいても空気だと思って気にしないでいい。
 受験勉強に差し障らないように、放課後は会わない。委員長は頭がいいのに塾にも通っているのだ。
 付き合うこと自体が面倒くさいというので、誕生日とかクリスマスとかそういうイベントは一切なし。もちろん休日にデートなんてせがまない。

 でもこれじゃあ、折角の恋人になれてもただのクラスメイトと変わらない気がするので、昼休みにお弁当を一緒に食べるのだけは許してもらった。俺が一緒に食べたいというと、しばらく沈黙したあとに邪魔しないならと条件付で。
 お昼を一緒に食べれるだけで俺は嬉しかった。いつもは数人の友だちと食べながら、委員長の様子を遠巻きに窺うだけだったから。机を隔てただけのこんな間近で、委員長のちょっと冷たいようなきりっとした顔を見てご飯が食べれるなんて、昨日勇気を振り絞って告白した甲斐があった。
 じっと見つめるのも不躾だから、パンをかじりながら時おりチラッとだけ盗み見る。いつの間にかお弁当を食べ終えて、弁当箱を片付けた委員長はじっくりと読書に浸っているようだ。くせのない真黒な前髪から伏せたまつ毛が覗いている。普段はメガネに覆われてあまり印象がなかったけど、意外にまつ毛長いんだな。
 ほっと微かに息を吐いて、ミルクフランスの最後の一口を食べた。

「いつまで食べてるの?」
「へ?」
「半分も食べてないサンドウィッチと開封もしてないドーナツ。ここまで食べるのに十五分かかってる。昼休みはあと十五分だよ」
 委員長は文字を眼で追いながら、ツナサンドとドーナツそれに教室に掛けられた時計を次々に指さした。
「あ、の…ごめん。急いで食べるよ」
 大口を開けてツナサンドにかじりついた。
「僕はもう食べ終わってるから、八木くんは自分の席に戻ったら? 目の前で本読まれたら気になって余計に食べるの遅くなるよ」
「そんなこと気にしない」
 おもむろに顔をあげて委員長はにっこりと微笑んだ。
「戻ったほうがいいよ」
 委員長がこんな満面の笑みを浮かべるの見たことない。普段の委員長は目だけを細めて眩しそうに笑うんだ。俺はぼうっと見惚れてこくんと頷いていた。




 委員長と付き合いだして一週間と少し、俺はチャイムが鳴り終ると先生が教室を出るより早く愛しい恋人の席に駆け寄った。
「委員長、昼ご飯外で食べない?」

 校舎と弓道部の道場の間にあるベンチに座ってパンをかじっていた。隣には、もう三分の二を胃袋におさめている委員長。ここは校舎から近いのに体育館や運動場とは反対方向にあるので人が通らない。初夏の日差しも校舎が遮ってくれるから暑すぎることもない。
 委員長はご飯を食べるのが早い。俺が食べるのが遅いってのもあるけど、いつも取り残されてしまう。先に食べ終えると席に戻るように促されて、それがちょっとばかり寂しいので四度目の昼休みからパンは一個に二段だった弁当は一段にかえた。それでもぼうっと委員長に見惚れていると遅れてしまうので、チラ見しながら急いで食べる。
 今日は初めて外で食べようと誘ってみて成功した。日差しが暑くないかと渋る委員長を日陰だから大丈夫と言って連れ出した。この場所は委員長も気に入ってくれたようで、何も言わずにベンチに座ってくれた。

 委員長はお弁当を食べ終えて、弁当箱を片付けている。俺は持っていた一口で食べるには少し大きめのパンを一気に押し込んだ。パックの牛乳も一気に飲み干す。
 俺は緊張していた。初めて委員長と一緒に食べたときくらい緊張している。だって今日は、お弁当しか持ってないんだ。いつも食べながら本を読むという行儀の悪い委員長だけど、今日はその本がない。しかも教室と違って、一つのベンチに座って二人きり。俺は巡ってきた幸運に感謝しながらも、なんと話しかけようか思い悩んでいた。
「あの、今日は…塾あるの?」
「ないよ」
 お弁当の包みを腿に乗せて委員長が答えた。
「じゃあさ…もし、もしよかったら駅まで一緒に帰んない?」
「……」
「あっわかってるんだよ。最初に言った条件で放課後は会わないって約束したの。でも…塾がないんならいいかなあと思って。それに、家までついて行かないから。絶対駅でバイバイするし」
 我ながら言い訳がましいとは思うけど、やっぱり昼休みの三十分くらいしか一緒に過ごせないのは物足りない。邪魔にならない程度なら許してくれないかなあと淡く期待して誘ってみたんだ。
「駅までついて来るだけ?」
「うん」
 大きく頭を振って、次の言葉を待った。
「いいよ」
 立ち上がってそう返事をしてくれた。


 颯爽と歩く背中を俺は小走りで追いかけていた。
 委員長はたぶん百八十センチくらい身長がある。俺は百七十にわずかだが及ばない。この二十センチの開きは全て脚の長さか、と思うほど委員長の歩くスピードは速かった。確かに委員長が道草食いながらチンタラ歩くなんて想像できない。俺は置いていかれそうになりながら、必死になって委員長のあとをついていった。
 でも、駅までの道のりは残り半分だ。せっかく一緒に帰ってるのに何も話せないなんて、幸運を棒に振るようなまねはできない。
「委員長! あのっ、明日は…何してんの?」
 歩きながら一瞬視線を寄越してきた委員長の目には疑わしい色が浮かんでいた。
「あっえと…、別に休みの日にまで会いたいとかいうんじゃなくって。やっぱり勉強とか読書とかしてんのかなぁと思って、ね」
「外出もするよ。図書館やジムや買い物にも行く」
「そうだよね。休みだもんね。図書館て市立図書館? ジムはどこかに入会してるの?」
「…大学の図書館に行くのが多いよ。家から近いからね。ジムは知り合いが経営してるところがあって、そこを利用してる」
「大学の図書館って大学生じゃなくても利用できるんだあ。委員長って勉強だけじゃなくて、体も動かしてすごいね。俺なんか全然鍛えてないから筋肉まるでないよ」
 一点集中型の俺はしゃべっているとどうしても委員長と距離ができてしまうので、離れて近づいてを繰り返しながら会話した。

 いつもふらふら歩いているのとは違って、委員長に引っ付いているとあっという間に駅に着いてしまって残念だったけど、ここでさくっと別れないと面倒くさいやつだと思われる。自動改札を抜けて、路線の違う委員長とはここでさよならしなきゃいけない。俺が乗る電車は階段を渡った向こう側だ。
「あのっじゃあ、また…月曜日に」
 振り向いて階段をのぼろうと思っているのに、委員長は目の前で立ったまま俺をじっと見ている。委員長が先に行かないのなら俺も動けない。やっぱり好きな人の背中を見送ってからじゃないと離れられないじゃないか。

「八木くんさ…、どうしたいの?」
「へ?」
 間抜け面で聞き返した俺に、委員長はいつもの涼しい顔で言った。
「僕を好きだって言ったけど、これで満足してるの? 昼ご飯食べるだけの恋人で不満はない? 八木くんは、恋人の僕とどうなりたいの?」
 きょとんとしたまま委員長を見ていた俺に「宿題だよ」と言い残して、委員長は行ってしまった。一人立ち止まっていた俺は、意識を呼び戻して階段へ走った。

戻る  後編