1 遠藤くんはお世辞が特技


 月の初めに席替えをして、僕は窓際の後ろから二つ目の席になった。教室の中で窓際の席が一番好きだ。後ろのほうならもっと好き。窓の外にある自転車置き場の、そのまた向こうに青々とした稲が茂っている。稲が風になびいて、緑一面の田んぼに一筋の道をつくる。そうやってできた風の通り道が僕たちのいる校舎にのびる。窓から入ってきた風が一時の涼しさを運んできてくれるのを、僕はわくわくして待つ。
 お尻の下から振動が伝わってきた。ひっそり振り返ると後ろの席に座る松尾が、目を細くして僕をにらんでいた。
「遠藤が外見たまんまどっかいってたから、こっちに戻してやったんだよ」
「どっかいってたって、僕はちょっと考え事してただけで」
「そうか? お前にやにやして気持ち悪かったぞ」
 人のこといえるような顔してるのか、といってやりたい気もしたがいわなかった。黙ってそっぽを向くと、前の席に座る長谷部と目があった。
「遠藤くん、授業中ににやにやしてるなんて何かいいことあったの?」
「別に、にやにやしてないよ」
 長谷部は上半身をねじってこちらに向いていた。彼女の肩にかかった真っ直ぐな髪が太陽に照らされて光っていた。
「長谷部さん髪きれい。染めたの? すごくきれいな色だね」
 少し照れたように笑って、短く礼をいうと友だちのところへ行ってしまった。彼女の長い髪が静かに揺れた。太陽に当たらないと普段の黒髪とかわらない。
「おい、お前」
「なに?」
 松尾の目がまた細くなって僕を見ている。返事をしない松尾にもう一度聞いても、目をつぶって首を振るだけだった。何なんだろう、松尾は。

 松尾とは高校入学してから知り合った。初めての高校に初めてのクラスで、僕は同じ中学のやつもいなかった。人見知りのせいで、でき始めていたグループの輪に入るのが遅れ、クラスでの僕の位置は宙ぶらりんだった。そんな僕に声をかけてくれたのが松尾だった。彼はクラスの一番大きなグループでリーダーみたいな存在だった。彼が手を引いてくれたおかげで、クラスに溶け込み楽しい学校生活をおくれているといってもいいくらいだ。
「お前聞いてんのかよ」
「え? 何を」
 松尾のいるありがたさを痛感していたのに、隣にいる彼の顔は怒っているようだ。
「何をってお前。だからな、遠藤は長谷部のこと好きなのか?」
「長谷部さん? ん〜、好き、かな」
「マジかよ」
「だって長谷部さんて美人だし、長くてきれいな髪が清楚っぽくていいし、足だってすらっとしてていいと思わない?」
 日の光を受けて黄金色に輝く髪をはらう、長谷部の優しい笑顔を思い出した。
「確かにいいよ。いいと思うよ。でもそれはそれで、お前は長谷部さんと付き合いたいと思うのか?」
「ええぇ? 付き合う? それはないな」
「そうだろ。つぅかお前みたいなのが長谷部に、ないとかいってるのがむかつくけどさ。でも遠藤は、長谷部のこと付き合いたいくらい好き、じゃないんだろ。だったら、学校でクラスのみんながいる前できれいとかいうなよ」
「本当のことだよ」
「お前が本当にきれいだと思ってても、そんなこと軽々しくいうな。相手もまわりも勘違いするだろう」
 僕はたびたび松尾にこういうことについての注意を受ける。松尾から見ると、僕はどうも女の子を誰彼かまわず褒めすぎるのだそうだ。でもこれは、子供の頃から言われてきたこと。女の子には優しく、些細なことでも気付いて褒める、自分より女の子を優先させる。僕はそういわれて育ってきた。だからどうしても、女の子を褒めるこの口を止められない。
「気をつけます」
 僕は松尾の気を落ち着かせるためにそういった。
「じゃあな」
 駅に向かって走っていく松尾の背中を見送った。押していた自転車に乗って家を目指す。僕の家は学校から十キロ以上離れていたが、体を動かすことが好きなので自転車で通学している。自転車をこいでいる道中が暇なようでいてとても楽しい。いろんなことを考えられるからだ。僕はさっき松尾にいわれた可能性について考えてみた。僕が女の子にかわいいとか、きれいとかいっていると勘違いするという。それは僕がその女の子を好きだとかそういう勘違いだろうか。信号が赤だったので、僕は腕組みして想像した。僕はクラス中の女の子に、きれいかわいいといっているはずだ。ならば僕がそういうやつだと女の子は知っているはず。きれいかわいいと、すぐにいう遠藤だからイコール好きとはならないんではないだろうか。遠藤は誰にでもいうやつだから、特別私もしくはあの子にいってるわけではない。
「おい、青だよ」
 考えがまとまったとき、横から声をかけられた。自転車に座っている僕より目線の高い彼は、同じ制服を着ていた。
「こんなところで考えごとしてたら危ないぞ」
 口だけ笑って歩道を歩いていった。彼の言葉は嫌味には一つも聞こえなかった。その理由は、あの涼しげな眼と優しい笑顔だろう。もし僕があんな顔だったら、クラスの女の子たちも勘違いするかもしれない。

戻る  次