知らないふり


 どうも変だな、と気付き始めたのは、高校に入学して中間テストが終わったころだった。
 通っていた中学からこの高校へ進学したやつは誰もいなかった。新しい学校に新しい教室、早く新しい友人をつくろうと意気込んでいた。そして新しい友人はすぐできた。隣の席に座る長身のイケメン。見た目から取っ付きにくそうなやつだなと思った。しかし、しゃべってみるとそいつの印象は全然違った。外見のように、大人っぽくクールなやつかと思っていたのに、気さくで面白いやつだった。だからどんどん仲良くなり、休み時間も昼飯もトイレも放課後も、ずっと一緒に過ごすようになっていた。
 俺は携帯電話をいじっていた。倉林と一緒にいると携帯電話をほとんど触らない。俺が画面を見ながらボタンを操作しだすと怒るのだ。「誰かと一緒にいるときに携帯電話を触るのはマナーが悪い」と説教する。いや説教というほどでもないが、穏やかに諭してくる。今まで気にしなかったが言われてみるとその通りだと思ったので、それから倉林の前で携帯電話を触らなくなった。
 今、倉林はトイレに行っている。俺はなんとなく携帯電話の画面を見た。ボタンを押して最近の通話履歴が表示される。五件表示された連絡先は倉林と母親と歯科医院。その前の五件は倉林ばかり。記憶されている全ての履歴は、倉林と母親と父親と歯科医院。メールのボタンを押して受信メールをチェックする。千件のメールが記録されているが全てを見るまでもなかった。全部倉林だ。携帯電話をテーブルの上に置き、冷たいフローリングに寝転んだ。冷たい空気を肺に入れ、熱くなった空気を口から出した。
 ドアが開いた。急速に進入してきた熱い風がむき出しの腕と頬をなでる。
「木村くん、どうしたの? 眠たい?」
「んん、ちょっと」
「こんなところで寝てたら風邪ひくよ」
「だな」
 俺は目も開けずに答えた。倉林が隣に座る気配。
 本当は眠たくなんかなかった。一度寝転がると起き上がるのが面倒で、ひんやりしたフローリングが心地良くて動けなくなった。まぶたを開けるのも面倒になって、ここで寝ちゃまずいなあと思ったし、せっかく遊びに来てくれてるのに倉林一人にしちゃかわいそうだと思ったけど無理だった。倉林ごめんな、と心の中でいいながら考えるのをやめた。
 
「好きなんだ」
 見ると倉林が男前な顔を惜しげもなく俺に向けている。
「知ってる」
 あれ? と思った。俺は知ってたのか?
「すごく、すごく好きなんだ」
 そういいながら近づいてくる倉林の顔は、苦しそうに歪んでいた。瞳に涙が溢れてくるんじゃないかと不安になった。
「わかってるよ」
 包み込むような優しい声だった。自分の声なのか一瞬判断できなかった。俺はこんな大人びた声を出すのかと、変に感心した。
 倉林の顔がとても近くにあった。薄茶色の瞳の中に俺が見えそうな気がする。まぶたを少し落として、縁どる長い睫毛が影をつくる。温もりが鼻先をかすめた。
「木村くん、好きだ」
 小さな小さなつぶやきが、俺の唇に降りそそぐ。
 柔らかな感触にほっと息をつく。タオルケットの下の冷たいシーツを探り当てる。ゆっくりまぶたを開けると、倉林が見えた。
「起こしちゃった? ベッドで寝たほうがいいと思って」
「んん」
 まぶたが重い。枕に頬をこすりつけて、もう一度倉林を見た。俺を覗き込んでいる。いつもとは違う、眩しそうな眼差し。前にどこかで見たな。いつだっけ?
「くらばぁし…」
「ん?」
 なんでこんなに眠いんだろう。倉林を見ていられない。髪の毛にふわりと何かが置かれた。額にかかった髪をすいてくれる。眠たいんならもういいよ、とでも言っているようだ。でもな、言ってやらないといけないんだ。
「はあく、いわないと」
 続く言葉は夢の中に引きずり込まれた。

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