おにいちゃんとふたご

「おにいちゃんさ、家出ようと思うんだ」
 豆腐の味噌汁をすすった。
「なんで」
 口入れたハンバーグの隙間から、葉太のくぐもった声がもれた。
「春から大学生だし、一人暮らしするのもいいかなと思ってさ」
 ハンバーグを箸で割りながら目をやると、葉太は忙しそうに顎を動かしていた。何かしゃべるのかと思っていると、口を大きく開けてご飯を押し込んだ。葉太の隣で一言もしゃべらない有太は、僕をじっと見据えていた。
「かあさん、知ってたんだ」
 明らかに不機嫌な声の有太に、母は首をひねって唸っていた。
 母には年末ごろから相談していた。合格した第一志望の大学は、家から電車で三十分もかからない。十分通えるが、僕は早く家を出たかった。僕には双子の弟がいて、二人ともこの春から三年生で受験生だ。それなのに二人の弟は一人部屋がない。父が家を建てたとき、子供は二人と想定していたようで子供部屋は二つしかない。長男の特権で僕はその一つを独占させてもらっているが、受験生二人で八帖一間はかわいそうだ。僕が部屋を空ければ一人部屋を持てると思って、大学に進学と同時に一人暮らしを始めようと決心していた。両親も部屋のことは気にかけていたようで、僕が家を出ることに賛成してくれて援助してくれるとまで言われた。でも、食卓を囲む暖かい光はどこまでも遠かった。

 あの日から、何となく気まずくて弟たちと言葉を交わしていない。おはよう、と呼びかけても顔を合わすことさえ避けられているようで、声もかけられなくなっていた。
 僕たち兄弟は仲が良かった。年子で小さい頃から体格もかわらなかったのに、二人とも「おにいちゃん、おにいちゃん」と僕にくっついていた。高校に入って兄の僕より体が大きくなった今でも、二人はおにいちゃんと呼んでいた。兄弟そろって同じ高校なので、学校の友だちの前では「夜斗」と下の名前で呼ぶのがかわいかった。
 枕の下に手を入れて少し冷たいシーツの感触を楽しんでいたが、お腹が減ってきたので起きることにした。冷蔵庫に塩焼きそばの袋があったので、野菜を刻んで豚肉を炒めてそばを放り込んだ。ソース焼きそばと違って美味しかったけど、三人前だったのでたくさん余ってしまった。二つのお皿に焼きそばをよそってラップした。二人が学校から帰ってくれば食べるだろう。三年はまだ卒業していないが学校にはほとんど出なくていい。僕は早く受かったから暇しているけど、一次をしくじったやつらは今日も勉強しているんだろう。
 レースのカーテンから外をのぞくと、白い空が目に痛かった。薄紫色の小さな花をつけたローズマリーが、水を滴らせながらかすかに揺れている。雨が降ってたんだ。通りで体がだるいと思った。正確にはだるいのではなくて、体に力が入らなくてやる気も出なくて、ふとんの中でころころしていたい。寝たのかな、寝てないのかなという曖昧な感覚で一日を過ごしたい、そんな感じ。リビングの白いソファーに寝転がって、背に掛けられていたハーフブランケットをかぶった。はたはたと屋根をたたく雨音なのか、胎内音のように心地良く頭に伝わってくる。夢の世界に引きずり込まれるような、強くて重たい誘惑に僕は負けた。
 窓から差し込む光を何かがさえぎった。きっと有太か葉太だろう。帰ってくるの早いな。僕の頭は半分起きていたけど、まぶたを開けるのも面倒だ。もう一度眠りにつこうとブランケットを引っ張った。
「こんなところで寝てたら風邪ひくよ」
 葉太の声が頭の上から聞こえた。そうか、葉太の影で暗くなったのか。暖房も効いてるし毛布もかぶってるし、平気だよ。今風邪ひいても、受験は終わったから大丈夫。
 髪の毛に何かが触れた。何度も髪の毛をすべっていくのは大きな手だ。どっちかがやってるんだな。昔は一歳しか差のない弟たちに年上らしく振舞いたくて、母に叱られた時や喧嘩の後に二つの頭をなでていた。でも自分がされた覚えはない。頭にのせられた手が重くて暖かくて、もっと眠たくなった。
「幸せそうに笑っちゃって」
 気持ちいいんだから仕方がない。有太もいるんだ。
「俺らの気も知らないで」
 葉太がそういって、顔に暖かい手が触れた。触るのはいいけど、あんまりしゃべらないでほしい。もう少しで眠れそうなのにな。親指が頬の産毛をなでつけるように動いている。
「ほんとに出ていくの?」
 そうだ、二人とは一人暮らしのことで喧嘩してたんだ。僕は今こそ話し合うときだと思って、まぶたをこすった。
「こんなに好きなのに」
 起きようとすると、背中に手がそえられた。
「おにいちゃんも好きだよ」
 顔がぼやけてみえたけど、目の前にいるのは有太だとわかる。葉太は僕の後ろにいる。
「じゃあ、なんで出ていくなんて言うの」
「俺ら寂しいよ」
 腕がお腹に巻きついてきて背中がぬくもりに包まれた。久しぶりに弟が甘えてくれて、僕は嬉しかった。腕をあげて葉太の頭をなでてやった。
「おにいちゃんも寂しいよ。でも、しょうがないんだよ」
「なんで、しょうがないの」
 今度は前から有太がぴったりとくっついてきた。前後から圧迫されて苦しかったが、悪い気はしない。反対の手で有太もなでた。双子はこういう時、同じ扱いをしてやらないと拗ねてしまう。両手を一緒に動かしながら、今まで考えていたことを二人に話した。
「おにいちゃんは、二人に勉強がんばってもらいたいんだよ」
「俺たち成績悪くないよ」
「でも、十七にもなって一人部屋がないのはイヤだろ」
「そうだけど、おにいちゃんが居ないほうが勉強できないよ」
「頼むから出ていかないで」
「お願い」
 僕がいなくなれば部屋も空くし勉強に集中できると思うんだけど、ずっと一緒に暮らしてきたから寂しいんだろう。でも、もう大人なんだから時間がたてば慣れるはずだ。両肩に二人の顎がささった。くすぐったくて肩をすくめると、柔らかいものが首に触れた。我慢できずに、二人の間で暴れだした。
「やめて、やめて、おにいちゃん死んじゃう」
 足の上には有太が乗っていて膝から下しか動かせない。二人の体を押そうとしても、力が入らない。僕は声を震わせながらやめるように言ったけど、途切れ途切れで自分でも意味がわからない。笑いすぎてお腹が痛いのに、二人がさらに首筋をくすぐってきた。
「家出るのやめる?」
「おにいちゃんが家にいるって約束してくれないと、やめないよ?」
 まともな言葉は出ないので、僕は頭を縦にふった。たまっていた涙が二つ、ぽろっとこぼれた。
「ちゃんと言って」
 二人がくすぐるのをやめたので、僕はひいひい言いながらも呼吸を整えた。
「家出ないよ。ずっと一緒にいる」
 有太の腕が僕の首を締めつけてきた。お腹に巻きついていた腕も力が込められている。二つの頭をはたいて、苦しいと抗議すると有太が顔をあげた。眉が下がっていて困ったような顔をしていた。首をかたむけたのでより一層困っているように見える。肩に頭を乗せるのかと思っていると、頬に冷たい鼻があたって口に温かいものがふれた。有太の額を後ろから出てきた手が押さえた。にやにや笑っている顔に、文句をいようと口をあけても言葉が出てこなかった。
「有太、なにやってんだよ」
 葉太の声が僕にかわって言ってくれた。おにいちゃんに何してるんだよ。僕のファーストキスの相手が弟のお前だなんて。
 大きな手のひらに導かれて振り返ると、葉太が口をひらいていた。噛まれるのかと思っていると、唇を舐められた。唇が引っ張られて、吸われているのがわかった。口の中に舌が入ってきて、僕の舌の居場所がないくらい暴れて最後にまた吸われた。やっと葉太が離れると、また前を向かされた。有太が僕の顔を挟んでいて、俺もと顔を寄せてきた。

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